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今現在は恵まれている状態にも関わらず心は不安を見る
明日から忙しいので、今日は妻と2人でまったりと自宅で過ごしている。
日当たり良好な二階の部屋で2人で転がって腕枕してどうでも良い時間を過ごしている。
それはまるで猫が日向ぼっこしている幸せな光景であるはず。
この幸せな日を過ごしている最中に私の心の中には不安の影があって、いまいち気持ちが幸せ色に染まっていないのだった。
コロちゃん禍にあって、この目の前の忙しさは超幸せな話です。
その前日の今日が日向ぼっこの猫状態な2人の時間は最高のひとときです。
それはそうなのに、本当の心の波長は、多分、グレーな曇り空の波長を飛ばしていると思った。
コップの水の話だと思う
ちなみに、この心境に気づいてすぐ妻に話したのですが、妻は私とは真逆の視点でした。
明日から忙しいんだから今日は暇で万々歳だと思っていたよ。
私は目先の忙しさよりも、数日は忙しくても、その先はどうなるか分からないと言う不安にフォーカスしてました。
これって明らかにコップの水のたとえ話ですね。
まだ半分もあると見えるのが妻の視点で、もう半分しか残ってないと思うのが私の視点。
私の脳内プログラムは学校と会社でインストールしたのだから今は不要だと知っている
私のこの足りないにフォーカスしてしまう癖は、小学校に遡る。
私の小学校では、忘れ物を1つすると、一発ビンタを食らう仕組みだった。
クラス全員の前でビンタされる。その痛みで9割の生徒は真っ赤に顔を腫らしてギャン泣きする事になる。
私はビンタの痛みもさる事ながら公衆の面前でギャン泣きする恥ずかしさも恐怖だった。
だから、常に用心深く、忘れ物は無いか? 不足は無いか?毎日学校が怖かったし前日の夜の明日の支度も怖かった。
社会人になってからも不安材料探しが仕事
私はサラリーマン経験があるが、その職種はミスは絶対に許されない業務だったので、上司から常に教育されるのは、ミスは100%撲滅は出来ないから、最後の最後までミスを探す努力を継続するようにだった。
必ずどこかに落ち度があると言うミスがあって当然だがそれを許してならないと言う不安の毎日だった。
どちらの時代のインストールプログラムも、今となっては私には不要だと思ってる。
でも、ついつい、転ばぬ先の杖と言うのかな。私は油断したら大変なことになるって思考が働いている。
目先の数日が調子良く仕事が舞い込んでいるからと喜んだら、その先は何も無いかもしれない。とそんな具合なんだろう。
だが、数日先には更に数日先まで忙しい予定が入っているかも知れないと言う考えもあるんだが、そっちの可能性は脳内に全然なくて、不安になる思考パターンを100%選択するなんて、引き寄せ信者とは思えない私の思考だと思う。
せっかく目先、仕事が順調で、今日は妻との日向ぼっこしているのに、不安な顔するなんて勿体無い。
なんで将来の不安探しに幸せな最高の今日の今を楽しんでなかったのか?
自分でも分かっているんだ問題点はこれだと。
原因だって過去の教育、洗脳だと理解も出来ているんだ。
対策だって、少しは分かる
どうせ考えるなら、望む未来にすべきだと知っている。
だが、脳内には少年時代から中年までの40年以上の歳月を使い込んだプログラムが今も動いている。
この不要なプログラムは削除したい。
40年育てたから手強いかも知れないが、少なくとも今日はそこに気付けたんだから一歩前進だ。
今日からは気付いたら止める。それだけでも頑張るぞ。
不思議な事
今では買い物では値段より好きな物を買うのに、思考だけは嫌いな思考を選んで馬鹿みたいだと。
また自分責めになってないか?
私は変わりたい。この気持ちは今現在の私を責めてないか?否定してないか?
ちょっとよく分からない。
自分を大事にしたいからこそ変わりたい。
一方では不安にフォーカスしてしまう自分はダメだと思っているかな?
自分責めした自分も許し何があっても自分だけは自分の味方でいようと誓ったのを思い出した!
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