全て失うと分かる事。当たり前こそ感謝だった。
目次
サルのこれまで
サル株式会社は第25期まで順風満帆だった。右肩上がりなのは自分の手柄だと思ってたサルの鼻の穴は広がって傲慢な時代だったろう。
その時代、お金は充分に足りてたのに感謝せず。
それどころか、足りないと文句を言うかの如く、引き寄せの法則で、大金持ちになる夢を強く願った
ちょうど引き寄せスタート時間からコロナ禍同時スタートして、サル株式会社は大打撃を受けたが、この苦難の中から挽回すれば引き寄せの法則の有用性が証明出来ると実験は辞めなかった。
一時的には会社の業績がV字回復したが、引き寄せスタートから5年後の今、結果的に惨敗したサルは会社の解散手続き途上にある。(解散とは会社を終わらせる事で、辞めるだけなのに大変な労力とお金がかかるから、個人事業主から会社にしようと検討してる人は辞める時の事も調べた方が良い)
順調な時代も常に不安だった
順風満帆な時代は、売上が毎年伸びて当たり前だった。→だからこそ伸びなくなる事が不安だった。
受注を増やせた時は、人手が足りるのか?納期を守れるのか?怖かった。
その逆に、人を増やせたら、人件費が増えるから仕事が減るのが怖くなる。
受注増やし、人を増やし、不安と前進のエンドレスループになった。
ある時に仕事量と人数のバランスが取れてくると、自分の老後のお金が不安になった。
どの不安も元を正せば感謝すべき事ばかり。
こんな引き寄せの作用点(不安)では、結果は明らかだったのか。
勿論、引き寄せチャレンジするからには良い気分の選択はやってきたが、上に書いた不安の気持ちは潜在意識レベルでベースになっていたと思う。
全て失った今の心境
過去、どの地点を見てもお金も人も足りていた。
しかし、足りてるのが当たり前になっていて、感謝せず、先の心配ばかりして来た。
感謝すべき事に溢れてる中で、私はなんたる贅沢、なんたる傲慢だったのだろうか。
先の心配をする前に「仕事、お金、人が足りてる」その事に感謝すべきなのに。
今からでも当たり前に感謝
今日すでに手遅れなのか?
いや、今日もまだ感謝する状態に恵まれている。
光熱費を払えてるから快適な温度。
家があるから雨風しのいでる。
持ち家だからキャットウォーク沢山付けた中のネコの楽園で生きてる。
美味しいご飯を食べるお金がある。
作ってくれるウサウサも元気だ。
大切なものは失わないと分からない
全て失うと分かる事→ 当たり前こそ感謝。
順風満帆な時は、当たり前が感謝だと気付かなかった。
この事を死ぬ前に知れた事にも感謝。その点では、コロナ不況と会社解散に感謝だな。
当たり前は当たり前で無い
当たり前が本当に当たり前であるなら、失うはずが無い。仮に失っても取り戻せるはずだ。
仕事がコロナ禍で減っても当たり前なら何度でも回復可能なはず。
しかし、売上は戻せなかった。おかげさまだった。
ウサウサとサルの健康も、当たり前では無いんだと、今回のビジネス失敗から学ばせて頂いた。
2人の健康は、まだ失われていない。失う前に気付いたからラッキーだ。
当たり前は当たり前では無く、多くの奇跡の上にある凄い幸せだと知りながら生きて行きたい。
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