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大きなトラブルを抱えていても、心を先に整えられた
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二日連続の正念場(今度は交通事故)での波動調整
二日連続での災難勃発するも波動調整に余念がないチャレンジだ!
「どんな事も感謝の対象になり得る」とは引き寄せ系で?聞いた事があったのですが、交通事故(貰い事故)にも感謝するのは正直言って無理だと思ってました。
事故に感謝するなんて、よほどの馬鹿か、マゾにしか無理だと思っていた。
事故から学べた その1
交通事故のトラウマ体験を思い出して書き換えられた
私は免許証を取って以来何度かの交通事故被害に遭っている。
その全てが完璧なまでの貰い事故で被害者ですが、毎回、加害者が悪者で最初は善人を装って物損事故で済ませてほしいと泣きついて来て、警察が物損として現場検証(簡易な検証しかしない)で終わっての翌日から手のひら返して私を逆に加害者だと言い出す人たちばかりだった。
だから翌日になってから目撃者を探したり大変だし、弁護士を入れても、なかなか被害者の救済が進まないで何年間も苦労して戦ったりしていた。当時ドライブレコーダはなかったので目撃者が揃わないと嘘と戦いは苦戦しました。
当日は、良い人のふりされちゃうので、私の方でも目撃者も確保しないで終わってますので、翌日以降の現場検証のやり直しはどちらが赤信号だったかの言い争いから大変でした。
大体が加害者事故の常習犯だから有利に嘘つくコツを知っている人ばかりでした。
私はこれらの事故体験から、交通事故がトラウマになっていると思っていたのですが、違っていた。
幼稚園時代の記憶がフラッシュバックしました。
当時、信号機のない四角に住んでいたのですが、父が乗用車で帰宅する時に、一時停止を無視した車に横からぶつかられて車が全損になった酷い貰い事故がありました。
私もドーンという音を聞いたし、飛び出した母親が血相変えて戻って来たのも見たし、その後の父と加害者の戦いも見てます。
自宅前が事故現場そのものだった為、加害者と加害者側の保険会社が毎晩我が家にやってきて、父と喧嘩のような口論で何日も戦っていたのを覚えてます。
父には過失がほぼ無かったために、父は自分で戦いました。過失ゼロだと保険会社は動かないし、多分、大昔だから弁護士特約もなかったんでしょうね。
父は過失が無かったはずなのに、加害者側の保険代理店は、一歩も引かず、過失割合の為に長期に渡って進展もない口論の日々でした。
最終的にプロ中のプロの保険屋に負けて、仕事で忙しかった父が泣く泣く妥協したのだろうと思います。
交通事故は大変な苦労して戦うんだと思い知った幼稚園児でした。(固定観念になった)
それと保険会社は被害者救済ではなく、被害者を虐める立場であることも理解しました。(固定観念になった)
正義は守られるって話しも幻想だと肌で感じた出来事でした。(固定観念になった)
その先の人生、現実は思い通りだった
私は幼児期から交通事故について学んで、悲惨な固定観念を入れてしまった。
その内容は以下になります。
- 事故は後が面倒臭い
- 長期間の戦いになる
- 加害者はずるい
- 保険会社も正義ではない
- 正義は勝たない
- 被害者は苦労する
- 交通事故は被害者が損する
- 世の中は甘くない
- 他人は信用できない
これらを学んだ幼稚園時代でした。
自分が大人になった後の交通事故でも、父の事故と全く同じ現実が数回繰り返し訪れました。
やっぱり交通事故では、正義は勝たない、保険会社は悪だ、加害者は悪者ばかり、被害者だけが苦労する、保険会社は被害者側は役に立たない、損する、世の中は信用ならない。
ますます私の固定観念は強固になりました。
波動調整で固定観念を覆す新しい体験獲得
今回は、事故解決はしてないままで、自分の波動調整だけ行った結果として勝手に現実が変わった。
波動調整する前は、今回も加害者は極悪非道みたいな雰囲気でスタートしたのでやっぱりと一瞬思ったのだが、それでも諦めずに、先に心を整えるを実践してた。
そして波動調整がある程度出来た後の展開は、まるで夢見たいなミラクルだった。
さっきまで私を加害者と言っていたのに、手のひらを返して(良い意味で)、すんなり賠償に応じてくれた。
私の強固だった固定観念は書きかわった
交通事故の被害者になると何年間も裁判するしかない | スムーズに解決する事がある |
加害者はずるい | さっさと賠償してくれる |
保険会社は被害者救済はしない | 保険会社は過失ゼロでも親切だ |
被害者は損ばかりする | ちゃんと報われる |
警察は冷たい | 夜遅くまで警察は親身になってくれる |
問題が起きたら、全身全霊で戦ってそれで解決には数年間要する | 問題はないと思ったら、問題自体が消えてしまう |
世の中は甘くない | 世の中は優しい |
他人は信用できない | 信用できる人もいる |
私は苦労する人生だ | 私の人生は楽勝かもしれない? |
事故から学べた その2
問題解決の鍵は、波動を変えて「問題の波動」と離れる
昨日と今日で、トラブルの中で、トラブルの解決した後の良い気分ではなく、トラブルの最中に良い気分を選んだ
これは環境に関わらず、心を先に整えるチャレンジの場だと利用した。
現実が解決する前に、心を整えた。
波動を整えただけで、トラブルそのものが消えてなくなった。
二日間の全く別なトラブルが、2件とも波動調整を先にしたら問題が何かの間違いのように消えてしまった。
さすがに、この2件ともミラクルな展開になるのは偶然とは思えない。
しかも相手あっての事であるし、物理的な破損もあっての事だから、絵空事ではなく物理的な世界が変貌したとしか思えない体験だった。
思考が先で現実が後。
この引き寄せ系の謳い文句は、真実だと思う2連続の体験だった。
事故から学べた その3
力を注ぐべき対象を間違えていた
従来の私は、問題発生したら戦いに力を注いだ
- ずる賢い嘘つきな相手の逃げ道を塞ぐ為に頑張る
- 正論で叩きのめす為の資料作成に頑張る
- 正義を貫く為に嘘を徹底的に探す
- 少しでも有利に戦うためにあらゆる時間を注ぎ込んで頑張る
この戦いに力を注ぐ私は、何年間もの裁判完了までの暮らし内容は、全てが戦いだけの時間で頭の中は戦い一色だった。
裁判に関連しての戦いは多くても週一回程度で進展が遅いのだが、それ以外の毎日は被害者に立証資料の作成義務があると言われて、そのための面倒な作業にばか追われていた。
だから何年間もイライラ思考を放って生きていた。
あのイライラ思考ばかりの時間が、引き寄せるのは更なる相手側の意地悪、不誠実を招いたのは今なら良くわかります。
今回確信したのは、力を注ぐべきは真っ先に波動調整
2回のミラクル体験で確信したのは、トラブルに遭遇した場合には、その問題に対処する戦いに力を注ぐよりも先に波動調整だということ。
波動を変えて、既に問題は解決したのと同様な波動になれたら、あら不思議と問題自体が消えているってこと。
だから、問題が出た時に、私が努力すべき事があるとすれば、それは真っ先に波動調整をする事だと思いました。
保険会社とのやりとりなど、もちろん具体的な行動は必要だが、その前に、あるいは並行して努力すべきは波動調整だと思いました。
貴重な体験になる交通事故でした
以上より、ここ二日間くらいのブログから私には交通事故が災難ではなく、感謝すべき出来事になりました。
事故に感謝なんて馬鹿かスピ系かぶれの言う事だろうと思ったのですが、今回は損害もきちんと賠償される目処が立ったし、その上に、貴重な体験ができたなんて素晴らしいです。
問題を解決する鍵は、最初に波動を調整すること。
これを身をもって体験するチャンスだった事故には感謝して当然だと感じます。
終わりに単なる偶然と思ってない根拠
自分自身の自問自答でもあり、この記事を読んでくれた方が思うであろう疑問に回答します。
今回の二日間の出来事が単なる偶然であり、波動調整と無関係って事は無いのか?
私は、それは無いと思ってます。
その根拠ですが、私の過去の人生で波動調整を知る前には、この手の場面で、世間が優しいと思うような体験は一つもありませんでした。
今回は波動調整しただけで問題が消えた体験が2度連続なので、偶然で片付けることは出来ないと思ってます。
しかも、それぞれが相手あっての事で、物理的なことも絡むので、問題が消えてしまうなんて話は常識的にはあり得ないです。
少なくとも、私の認識する宇宙とか現実とか言う世界では、今回は思考が先で現実は後だったのは間違いないと思ってます。
この先も何かあった時は今回のように波動を真っ先に整えて行きます。
その経験値が積み重なるに従って、長年の無用な固定観念がどんどん消えてゆけば更にこの傾向が加速して、世の中は優しいなとなるのを楽しみです。
ただ、一方では、私の波動調整はまだ未熟なのも何となく知ってます。
固定観念がまだまだ膨大な60年分あるのも知ってます。見つけてないけど。
この先の人生でまた固定観念の通りの現実もやってくるだろうと思います。
それでも、その都度、何度も波動調整をして行けたら、毎回、それで固定観念が書き換えて行けたらと思います。
つまり、私には実験検証するチャンスが沢山あるんだ!
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