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パム・グラウト「感謝」で思考は現実になる
この本、以前に購入した時には、読んでも取り入れる気にならなかった。
なぜ取り入れなかったのか?
当時の私のマインドは受け入れられなかった
感謝する事に対して、この本で言う内容が押し付けがましいと思ってました。
パム・グラウト「感謝」で思考は現実になる 〜印象深い一節
山になった請求書に感謝する。予期していなかった病気の診断に感謝する。酔っ払って新品のカーペットに吐いたボーイフレンドに感謝する。
よく見えようが悪く見えようが、あらゆる物事に感謝する。これが猛烈な感謝だ。
特に↑この部分ですが、私が初めて読んだ時、正直な印象、これは無理でしょう!
こんな内容に感謝なんてバカとしか言えないね。
そもそも感謝って自然に湧くものであって、こんな時に無理やり感謝しようっておかしいんじゃないの?
ここまで来ると感謝教って言う名前の宗教だね。
再び同じ本を読んだ
あれから月日が経過して、今の私はパム・グラウトさんの提唱する容赦ない感謝、猛烈な感謝に多いに賛同する気持ちが出てきた。
どうして心変わりしたのか?
それは私が変化したからだとしか思えない。
ある時、たまたまこの本を再度読む機会があって、その時は素直にチャレンジしたいと思った。
実際に、「シノゴノ言わず」やってみた。
ドライブ中に危険な割り込みされた!
この調子で、あらゆる出来事に対して、イラッとしたら感謝に切り替えるに徹してみた数日間。
どう考えても損はないワークだった。
イライラする時間が短縮される。結果として良い気分の時間が増える。
しかも、バカみたいな感謝に対して無理なく波動が感謝に変化させられる。
自分の波動は出来事に左右されずに、自分がコントロール出来ることを実感しつつある!
考察
昔は全否定だった「容赦ない感謝」に、今は実験して間違いない効果を実感している。
これは一体全体どう言う訳なんだろうか?
嫌な出来事だとイライラしてないで、自分が感謝だと決めたら気分は一瞬にして感謝の気分に変化するからなんだ!
それがイライラの対象か?感謝の対象か?
これすらも自分い最終的権限があるんだ。
自分が感謝と決めたら波動が感謝になるんだ。
波動調整の体験も後押しする
ここ最近の個人セッション期間中に訪れた災難の2連チャンに対して、波動調整で奇跡的な解決(問題自体が消えた)した経験がある。
人生の災難としか思えない出来事だったのに、波動調整の実践するチャンスだったと思ったら感謝が湧いた。
災難すら感謝になった?
過去の人生経験も後押しする
私の人生は約60年間の実績があるが、その中には災難としか言えない嫌なことが沢山あった。
しかし、すべて今になって思えば、あれで良かったと感謝に変わったことばかりだ。
つい最近まで感謝になってなかった部分があったが、個人セッション最中に、あれ?これも今になってみたら感謝なんだと思うことがあった。
結論はすべて感謝に値する
どんな災難だと見える出来事も後になれば、あれで良かったと感謝に転じるのは間違いない。
今の時点で、目の前の出来事がとても感謝に見えない出来事でも、その先の結論は感謝に転じるに決まっている。
波動調整の観点からも同意する
波動調整で最近の体験は災難時に波動を整えると災難自体が消えてしまうことだった。
災難だと思う出来事があっても、波動を整えたほうが得策なのは間違いない。
だったら、嫌な出来事も感謝だと決めて、私の波動が感謝の波動に整ってしまったら、嫌な出来事が消える可能性が高い。
容赦のない感謝、圧倒的な感謝、猛烈な感謝、自分の波動が、それに無理なく口先ではない本当の波動が合わせられるようになったのが幸いした。
無理があってエセ感謝であったのは過去の私の体験で、今の私は感謝と決めたら感謝の波動に乗れるみたい。
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