題名は、今現在やっている事ではない。
今現在は努力目標。
うっかり気分の悪い思考に入って振動数低下に後で気付くパターンがある。
毎日、ブログ日記中は気分が良いが、日常の中では、将来へのお金の不安が出てくる。
国家公務員のような安定したサラリーマンでは無いので致し方ない事だが、この先もこれは嫌だから自分なりに良いアイディアだと思った。
目次
悩み事(不安)は将来
- このまま仕事が暇だったら、その内お金が足りなくなるかもしれない。
- もし貧乏になったら格好が悪いぞ。
- 両親が死んだら相続は兄弟割り勘で家の売却となり住む家が無くなる。
- コロちゃんウイルスで今のビジネスがこの先も存続可能か分からない。
悩みの正体は、将来だから、今ここに実在しない空想の未来は気にしなくても良さそう。
でも、ここで自我は、ツッコミを入れてくる。
仕事が静かになってしまったのは将来では無く、今、今日、ずっと何ですけど。お金が減りつつあるような気がするのも今日既に始まっているんですけど。
自我のツッコミに対して、客観視する側の自我は、「リアルな今」と「頭の中の不安」を区別する
そうでしょうか?
私は今、快適な部屋でブログを書いているし、朝も大変美味しいフルーツサンドと焙煎したばかりで挽き立て珈琲も飲んで美味しかったし、今、あるものに恵まれている。
最高の日常を体験している真っ最中。
どう考えても不安の言う惨めで悲惨な状況は、今では無く、将来の空想だと思う。
悪い現実創造は熱心なのに無用心
自我を野放しにすると、危険なことに、望まない現実に熱心になる。
しかし、それは怖いバイブレーションだと思うから、そんな暇があったら、今既にある幸せを数えた方が良さそうだと思う。
不安は残り寿命に比例
- 余命数日なら
- 列記したタイプの悩は一切消える。
数日で未知の世界に行くのは怖いけど、怖いと言っても避けられないから悩みは無くなると思う。
- 余命1年なら
- 世間体とか損得計算は消えて、今既にある幸せな日々を愛でながら生きる。私の場合は特に妻と共に過ごす今世を一瞬も逃さないで味わいたい。
- 数十年以上の余命
- リアルに私は50代後半で平均寿命なら20〜30年の人生がありそう。
そんな先の事って読めないので不安になる。
死ぬまで人生を謳歌したいのに、謳歌出来る今日を不安に見過ごしたら、今を愛でられないし、意識は将来の空想に飛ぶ。
せっかく、まだ数十年は人生を楽しめそうなのに、その間は楽しむ事を出来ずに、余命一年となるまで不安の中にいたら勿体無い。
余命が数十年ありそうな今からでも充実した毎日を送りたい。
充実した毎日とは、特別な日では無く、今、この瞬間を大切に愛でる毎日だと思う。
悩むのは明日にする
だったら、今は楽しんで、悩むのは明日へ先送りしよう。
明日になったら、明日を楽しんで、悩むのは先送りしよう。
自我としては、将来の為に今日を捧げて頑張ったら、良い将来が保証されると思うが、ここまでの人生を振り返ると、ずっと努力ばかりで安心の将来なんて幻想は逃げ水のようだった。
とりあえず、悩みの相手するのは明日する。
と言う事にして、今日は今、目の前の事だけ堪能したい。
良い気分の選択に専念
不安は明日へと先送りする事で、すべき事が減って自分の時間が増えると思う。
そして浮いた時間は、良い気分の選択、今気乗りする事をする。
特に無いなら今にある事に目を向けて感謝する時間に回そうと思う。
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