ストップして丁寧にやる。これ実践しないと、私の人生が終わるまで、急ぎっぱなしで味わう暇もない
- 誰よりも早く給食を食べるのが自慢
- 学校で1番走れる事を目指していた
- 会社では仕事が人より速い事を目指した
- 何事においてもパッパと早く済ませる事が良い事だと信じて生きて来た。
- なぜなら、仕事が速い人の方が有能で、人や社会の役に立つと思っていたから。
- 自分としても仕事を早く済ませた方が時間が浮くから。
- 遅い人は何事においても邪魔臭い
- 仕事、運転、勉強、運動会、遅い人が良しとされる場面は見た事がない。
目次
速さが正義とは、学業・仕事だけに限った話では無い
半世紀を生きてきて、身に付けた私の日常はこんな具合になっていた。
- 頭を洗う時も手を高速で動かして短時間で洗う。
- 妻はその姿を見て、手の動かし方が頭がオカシイ人並みに馬鹿みたいに見えると笑い転げている。
- 身体を洗うのも、同じく両手を高速で動かして素早く洗う。
- 歯磨きも素早く終わらそうと、手を早く動かすから時々歯茎を傷めている。
- 歩く時は、目的地を目指して脇目もふらず景色も見ないで全速で歩くのが当たり前。
こうしてみると、私の日常は、仕事も、歯磨きも、歩く事すらも、やっつけ仕事で、出来るだけ早く片付けて終わらせる事が責務になっていた。
食事だけは楽しんでいるのだが、やっぱり犬のように早食いしてしまう事が多々ある。
と言い訳はするが、
美味しいものを手早く食べても美味しさはアップする事はないのに理由になってない。
むしろ、ゆっくりと手を動かし、口を丁寧に動かして味わえば更なる美味しさ、食感が味わえるはず。
仕事も勉強も食事も歯磨きも、私の人生の全てが駆け足だった。
やっつけ仕事ばかり。
全部がそうだ!
人生の全てがやっつけ仕事だった?
すると常に
「こんな事は早く終わってしまえ」って気持ちで早送りの人生だった。
死ぬ直前までやっつけ人生で終わるところだった。
このままだと死ぬ直前まで、
または、
身体が壊れて動けなくなるまで、
急ぎ続けて一生を終わる危険性があった。
死ぬ時になって、または、動くことすら出来なくなって初めて立ち止まった時
それまでの人生は何も味わってない、愛でたり、感じたりする事もなく、無駄に過ぎ去った事を後悔すると思う。
学校、社会、家庭、その全てにおいて、競争があり、早くて要領良い事を望まれる。
そんな社会で都合が良いのは労働者を使う側だけではなかろうか。
家族の時間すら例外ではない
- 家族ドライブ当日は、渋滞する前に家を出発しなければと支度時間から焦り5分でも早く出ようとする。
- 家から出発しても目的地に着くまで渋滞しない内にと先を急ぐ。
- 途中で子供たちが何かに興味を持っても車を停車する事もなく現地を目指す。
- 一台でも追い越して早く到着しないと、駐車場が満車が怖くて焦る。
- 駐車場に到着するも今度はチケット売り場に走る
- 入園したら乗り物の列まで走る
- お昼はレストランの座席確保に早めのランチ
- 午後になると帰りの渋滞が心配で、その前に帰路にと家族に帰り時間を急かす
- 帰路に着くも帰宅まで渋滞したら時間の無駄になると、遅くなると明日の仕事のパフォーマンスに影響すると急ぐ
- 急ぎ疲れて帰宅すると、早く寝るぞと風呂とか急ぐ
全ての瞬間に先々の心配をして心が焦っていた。
私のこの先の人生は、丁寧に、ゆっくりとやろうかな。
急ぐ先には、死が待つばかり。
人生を急いでもゴールは墓場しかない。
急ぐ時、そのやっつけ仕事と思っている日常こそ、人生そのもの。
今、ゆっくりする時間は楽しもう。
人生は全ての瞬間で、そこを焦り走ってたら何も無いままに終わるから。
今に立ち止まり、感じて、味わって、丁寧に楽しみたい。
先の事は味わえない。
今の事しか味わえない。
コメント