クレヨンしんちゃんの中で登場する松坂先生の名セリフ。
うふん、胸あってこその谷間ですものね…
おーっほほほほ!おーっほっほっほっほ!
子供達がクレヨンしんちゃんのアニメの初期時代の世代なので、私も一緒にリアルタイムで見ておりました。
その時に上記の松坂先生のセリフは正しいなあと思って聞いてました。
なぜならば私の妻も胸が大きい方だったので、高い胸があって、深い谷間が出来る事は目の当たりにしていたので、その通りだと単純に思って聞いておりました。
目次
坐禅、瞑想するようになって
後に趣味が坐禅や瞑想になってくると、思考を眺めることが楽しくなって来て、そうなると、苦楽が一対になって、苦があるからこそ楽を感じられる。
寒い日があるから暖かいを感じられる。
など二元論を知る事になりました。
そうすると冒頭の松坂先生の名台詞
「胸あってこその谷間」は深い二元世界の真理
だと思うようになりました。
これがふざけたギャグではなく、スピ系の話のように心に深く刻まれた気がします。
最近、昔ほど苦楽一対ではない感じ
若い頃40代までの苦楽の比率
90%が苦しみで、10%が楽でした。
苦しみが多いので、時々しか無い楽が一際輝くのですが、どうせ一瞬の楽だと知っているので、油断できないと喜びも半信半疑でした。
40歳から50歳までの苦楽の比率
五分五分だった気がします。
正に苦楽が一対になって現れる感じで、ジェットコースターのように上下する感じで、嫌な事と嬉しいことが交互に現れる感じ。
この頃は、正に、胸あってこその谷間が真実間違いなしの時代でした。
これは苦労の後の成功にこそ感動がある!
とか
失敗の後の成功が嬉しい。
とか。
楽だけ求めることは原理的に不可能だ!
コインの裏表なのだから、楽だめ求めて、コインを薄切りにしても、切った薄いコインの裏表が生じるだけだ!
そう考える時期でした。
五十代後半の苦楽の比率
人生の大半が幸せばかり
どういう訳か、五十代を過ぎてから、人生は幸せなことが多くなりました。
住宅が壊れるなどのトラブルに見舞われても、保険などで修理前より良くなったりするし、痛風になって治らない状態で痛みで苦しんでいたら、それでも幸せを感じるようになって、逆に幸せ度合いがアップしたり。
今では、トラブル、嫌なことが若い頃より減ったし、たまに生じても直ぐに素晴らしい出来事に転換されてしまうようになった。
能天気と言われたらそうかも知れないが、単に良い受け取り方をしていると言うのではなく、明らかに世の中が私に優しくなったように思う。
苦しみと楽は一対では無いのか?
胸あってこその谷間、とか、苦楽は一対
この格言?は
間違いなのか?
私が思うには、この格言は合っているんだけど、若い頃は谷底に落ちて上がっての繰り返しだったのが、最近は、上がった場所から、更に高い場所に上がる繰り返しになったような気がする。
高さの差が相対的にあるから嬉しい思いを出来る。この点は一緒で、昔は一々、下に落ちてから上がるって言う一進一退だった上下運動が、最近は、上がって、そこから上にまた上がっての相対的に高さが上がってばかりな気がする。
今日は幸せだったなあ。
この繰り返しで、ますます幸せな毎日になってきたような気がする。
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