目次
これは、私の自我だけの特徴か?
これは、私の自我だけの話なのか?それとも自我とはこんな感じなのか?
他人の自我の事は分からないけど、今日、こんな事に気が付いたので日記に書いておく。
風邪は98%完治して気付いた私の自我の生き方?
この1週間くらい、風邪ひいて、辛い日々を送って来た。
風邪の症状は勿論辛いけど、そんな事は人生半世紀以上生きてたら、ほぼ毎年の事。
デトックスだ。とか、強制的お休みだ。とか、良い方向に捉えるのも簡単だ。
今回の風邪は、コロちゃん禍の最中にだから精神的に大変だった。
他人への心労に加えて、二世帯同居の父に対する気苦労で、それで生きた心地もしない1週間だった。
1週間で98%完治した風邪
昨日までは、同居の家族に隠すのはギリギリだった。頭痛、喉の調子、声の調子、身体のキレ、何かでバレそうだし、万一の場合の感染リスクから極力合わない様にしていたから。
しかし、
完治した今日は、もう、その人間関係の不安からは解放された。はずなのに。
何故か、謎のドヨーン
完治して良かった。コロちゃんで無さそうだし、人間関係もトラブルにならなかったし、開放感!
なタイミングなのに、謎のドヨーンは何なのだ?
1週間も不安の中で引き篭りしたから、精神的にまだ立ち直ってないのか?
思い出した!昔の自我の不安探しの癖
不安が解消すると、次なる不安がないか?探し始める自我の癖があった。それは小学校時代からの癖だったと思い出した。
恐怖のビンタ教師の思い出だった
小学校では、忘れ物を1つするとビンタ1発のお仕置き
学年が変わり担任が変わるけど、その新担任もビンタ教師だった。
学校で統一した教育方針だったのだろうか?
今の時代のように簡単に体罰だと騒ぎ立てる風潮は甘やかしだと思うけど、忘れ物しただけでビンタは絶対に今思えば許し難いぞ。
ちなみに、2個忘れ物したとバレたら2発ビンタされる。
それも、教壇の前に立たされて、全員の前で公開処刑ビンタ
かなりの力でビンタされるし、男子としては泣いたら大恥だし、怖いし、毎日、学校が怖かった。
ビンタも怖いし、公開処刑がまた嫌だった。
恐怖は前日から下校時間まで続く
前の晩も、ランドセルに入れるべきもので忘れ物してないか?
私はノイローゼになりそうに繰り返し持ち物を確認してた。
あの頃の私は、例えば、国語は作文も持って行く事になってたら、それを思い出して、いっときはホッとする。
その次の瞬間には、図工は?社会は?何か特別な持ち物は無かったか?
それをクリアすると、次には
体育は何かあった?帽子は入れたか?
一旦落ち着く。
全教科を確認終えたら、またホッとする。
しかし、自我は次なる不安を探し始める
私自身が持ち物リストにメモをすること自体を忘れている可能性はないか?
または、先生の話を聞き逃してたら?
もし、聞き逃したら、何度揃え直しても無駄である究極の不安だった。
明日の特別な持ち物で私が聞き逃したのは無かったか?
そこが怖くなると、自力では努力しようもない。
そこで恥を忍んで友達に電話して聞くことにする。
1時間くらい?ホッとする。
しかし、少しすると、その友達も忘れた可能性は?他の人(学級委員クラス)に聞くべきだったか?
とか言うことでまた、不安になる。
一瞬は安心しても、次なる不安材料を探して潰さないと気が済まない子供時代の恐怖のビンタ学校生活6年間でした。
親からビンタを受けてる子供だったら平気だったかも知れないが、生まれて一度もビンタされてない私にはビンタは怖かった。
恐怖の学校だったが、その中でも特に、恐怖心が育った瞬間があった
色白な女子はビンタされると顔が赤く、明らかに腫れてしまう。
しばらくの間はワンワン鳴いてた(可哀想)、あの痛々しい顔を見ると自分はされたくないと心から震えてた。
我が身を守るために自我が育つ
あの頃の恐怖ビンタ学校6年間は自我として、ビンタから我が身を守ろうと必死。
ビンタ教師のお陰で、安心する暇のない小学校生活になっていた。
大人になった今
今回は風邪が無事に治って、コロちゃん禍の中で人生最良の日であるはずなのに、
既に次なる不安材料を探してドヨーンとしてた。
ちなみに次の不安とは、風邪がぶり返したらです。
98%完治と書いたのは、微妙に喉が変だから。
そして一週間寝てたから、体力が弱々しくて。
バカか!
人生、なる様にしかならない。
しかも、大変なことがあっても、後になって振り返れば、あれが良かった時思う事ばかり。
バカ教師、ビンタ教師の洗脳に半世紀もやられていたのか俺は!
目が覚めた。
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