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震災までの私の人生
学生時代から震災まで全力真剣勝負の毎日で会社の売上増だけを幸せのツールとして生きて来ました。
売上金額も働く人も増えて来て、それは一見すると正しい努力に見えたけど、精神的には真逆だった時期で、これは私にとっては間違いだと気づいた時代でした。
震災以降は
今日を幸せに生きる事を知って、まったりとゆったりと幸せに今日まで生きて来ました。
この10年間は人生で最も幸せな時期でした。
その中で、引き寄せの法則を知って、老後の幸せは引き寄せ以外に道がないと背水の陣で取り組みました。
それはそれは自分としては2年間一生懸命にやって来ましたし、楽しい2年間でした。
その結果は、お金の数字で見たら大きな赤字を記録しました。
常識で生きる知り合いには死ぬまで隠したい赤字記録です。
「ほら見ろ」って言われそうだから。
その姿は常識人から見たら、不思議な話を間に受けた老人が、現実も見えない夢見る少年になっていたと思う。
夢見る馬鹿な宗教に騙された老人に見えてたかも知れない。
今後はどうするのか?
でも、赤字を出したからと言って若い頃のようにガムシャラに売上増に向けて生き直すなんて、全然気乗りしない。
あの頃みたいに身を削るつもりもありません。
そもそも体力は若い頃の様には使えないし、幸せな生き方を知った今では精神的我慢強さも無くなりました。
さて、じゃあ
2年間の引き寄せでお金を失ってこの先、妻との人生をどう生きたいのか?
本当は何をしたいのか?
- 私は本心ではどうしたいの?
- 何の制限も無いとしたらどうしたいの?
私はここ10年間が人生でも最も幸せで、この他に何を望む訳でもないので現状維持が出来るのが私の望みです。
ただ、それプラス、妻の願いを叶えられるだけの自由な選択肢が欲しい。
妻の願いの大半はお金で得られるので、十分なお金があったらと思います。
でも、それよりも何よりも一番大事なのは今の生活を維持すること。
今現在2人の生活とは
- 今日を生きるお金が十分にある。
- 好きなものを食べて飲んで今日を終われる。
- 欲しいものをお金を気にせず選んで買っている。
この今のまったりして日々を生きている今が最上級の今日であり同時に目的地です。
ただ、不安が出て来てます。そこが悩みどころです。
不安とは?
2年間の引き寄せ取り組んだ結果として大きな赤字を記録しちゃったことで、この今の生活水準が維持できなくなる将来への不安です。
この今の生活が、妻とのマッタリとした時間が死ぬまで維持できる安心が欲しい。
その為には、結局はお金に辿り着く。
不労所得的な、生きるのに十分なお金があればと思う私がいる。
それは定期的な収入でも良いし、大きな一生分の資産でも良いけどが欲しい。
何の制限も無いならば、お金の心配など一生涯しないで済む何かが欲しい。
そもそも制限がないならお金の心配してないはずだけどね。
私の過去の経験や技術とか現在の立場とかお金とか、何もかも無視して望みを発して良いのだったら、私は死ぬまで妻と幸せに生きられる自由が欲しい。
- どうしたらそうなるの?
- 今の私がどうしたら、そんな一生涯安心するような資産を持てるのか?
- 資産でなくても安定したお金の流れが得られるのか?
- 今の私にはさっぱりわからない。
私が本当の好きをビジネスに出来たら叶うのだろうか?
私の本当の好きはどこにあるのか?
私の本当の好きは何だろう?
何の制限もなしだった時、今日やりたいことは?
妻と全国どこでも今日行きたいと思うところに毎日のように旅行する自由な日々が良いな。
- 伊勢神宮周辺もまた行きたいな。
- 出雲大社は初めて行ってみたい。
- オーストラリアでクワッカワラビーに会いたい。
- 三国の大徳でまたカニ食べたいな。
一週間も旅行したら、きっと飽きて妻の手料理が恋しくなるから、その後は1ヶ月くらいは自宅でのんびりしていたい。のんびりって具体的には2人でキッチンに立ち、2人で映画を見て、2人で飲んで、2人でホームセンターとか出かけたり。
週一回程度は仕事に出ても良いなあ。
もっと望んで良いんなら、家は今の家でも気に入っているんだけど、築30年でこの時代の家は耐久性が20年くらいらしいので、新しい高台の平家に住みたいな。
ガレージには2人の旅行用にポルシェがあって、買い物に便利な小さな自動車もあって、ツーリング用のバイクもあって。
ただ、本気で私が欲しいものは、今日の生活です。
妻と2人が健康で、毎日をゆったりと心やすらかに自由に生きられる今の今日現在の生活が最低限必要で、それでいて目的地の天国なんだと思う。
ポルシェや豪華な家は、それは欲しいけど、ポルシェは牛丼で言ったらトッピングの生姜であって、牛丼が妻とのマッタリな今の生活です。
このベースとなる妻との時間を一生涯守りたいなら、やっぱりお金の流れが十分に太くあったらと思う。
所得が十分無ければお金が減るのは資本主義社会で当たり前の事だから、重力の法則並みに避けられなんだと思う。
コロちゃん売上減少を我慢していても、永遠に終わらない感じになっているし。
なんか気分悪くなったので有る側に目を向ける。
今日現在、
- お金に困ってないだけのお金がある
- 自由に動ける健康がある
- 今日も好きな場所にドライブするガソリンと車がある
- 自由時間もある
- 妻との仲良し関係もある
- 置いて外出可能な両親の健康状態もある
- 巣だった子供たちもそれぞれ自立してくれている
- 売上は減っても仕事もある
でも、過去2年間の赤字を見たら、このままではダメかも知れないと不安になる。
でも、私の会社のビジネス内容は、普通と違って自分の努力で流れを太くは出来ない。
SNSで宣伝しても、チラシを作成しても、飛び込み営業しても無駄。
消費者の購買欲を刺激するタイプのビジネスでは全くないから運を天に任せる感じのビジネスです。
これ以上は身元がバレる特殊なビジネスなので詳しく書けないけれど、自分ビジネスで言われる売上増方法すらもおそらく一才が効果ないと思う。
この仕事が好きだけど、妻と一生死ぬまでは出来ない。
いずれ将来は年齢で無理が生じそうな仕事でもあります。
その前に何らかの不労所得を得るか、資産を作れるか、国が良い意味でベーシックインカムを導入すrか?
それとも、いよいよ今のビジネスではない何か好きを仕事にするタイミングが来たのだろうか?
うーん
でも今の仕事は好きだからなあ。
楽しいからなあ。
他にやりたい仕事ってないもんなあ。
この瞬間、やりたい仕事って今の自分で可能な仕事って限定しているなあ。これがマズイのかな。
本末転倒している
何かビジネスの転換期かどうかは私には分からないが、少なくとも今日現在は自分の目指す幸せな生活を維持している時点でゴールにいるんだと思い出した。
その幸せな今日を満喫する事なく、この先の不安に囚われていた1時間(多分、このブログを書いた1時間は気持ちが変だった)は勿体無いぞ。
お金とか仕事が無くなってから書いているならいざしらず、今日は幸せに生きているし、幸せな今日を犠牲にして不安になって過ごしていた!
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