さる船長のパートナーシップ号のメイン話題となる夫婦喧嘩の仲直りの話を昔の記事からリライト作業中だよ。
リライト作業中も公開状態だから途中で変な文章になっていてもそう言う事だよ。
妻と私は、今でこそ、周囲も羨むくらいラブラブだけど、そこに至る30年の歳月は血みどろの夫婦喧嘩ばかりの夫婦生活でした。
あなた達、よく離婚しないね?
と二人を良く知る友人から言われるくらいでした。
親の知らぬ間に、幼い子供達は離婚は秒読みと覚悟して、姉妹でどちらの親に着いて行くのか?相談を進めていたと後々に聞いた。
あのまま離婚したら姉と妹はそれぞれどちらに行きたいか?と真剣に話し合っていたらしい。
最近はラブラブ夫婦になっているので、時効でもあると、過去の話として子供達が教えてくれた。
夫婦喧嘩しても話し合えば良い。
そう信じていた私だった。
話し合えば分かると言うが、話し合いじゃダメだから喧嘩が長引く訳で、話し合いが逆にドツボに落ちてゆくだけだった。
これが正しいと信じていたけど、今思えば、話し合えば良いんでは無かった。
話し合いの前に、相手を思う気持ちが先にあればこその話し合いなんだ。
この題名はややこしい書き方になるけど真理だと思っている。
私は、元エンジニアで、喧嘩中すらも論理的な会話をしなければ気が済まなかった。
だから話し合いの中にも妻の心、感情を大切にするよりも、優先したのは論理的な会話になっているかだった。
妻の発言は論理的に整合性が取れてない為、いちいちダメ出しする私だった。まとめを行い再発防止に努めようとしていた。
喧嘩>話し合い>夫婦の学びのまとめ発表
私は喧嘩は、二人の気持ちのすり合わせのチャンスだと見ていた。
喧嘩したら議題を見つけて話し合いを何時間も行った。
二度と同じ喧嘩をしたくないからだった。
話し合いをまとめて今後の夫婦の方針を決めていた。
今思えば全てがバカだったけど。
喧嘩したらその日の経験を生かそう!
転んでもタダでは起きないぞ!
これが喧嘩した時の私の得意な言い回しだった。
企業の社員教育みたいな夫婦喧嘩だった。
毎回、喧嘩して話し合って反省会して半日を議論に費やした。
その甲斐あって喧嘩が無事に終了して
昨日より今日は理解の深い夫婦に進化していると私一人で思い込んでいた。
喧嘩の後半になると、私の頭脳(当時の嫌な奴はそう思ってた)と努力によって、
夫婦喧嘩は収束して仲直り雨降って地固まる。
これが私の力だし、正しい夫婦の姿だと思っていた。
私が喧嘩の原因から改善点を抽出して偉そうに裁判官のように状況整理する。
それを不服そうに妻が聞いている。
不服そうな表情を見せる妻は、女性だから気分を引きずっているだけだと思って、自分が正しいことを言っているのだから間違いないと思っていた馬鹿な私だった。
妻の本心を知らぬままで何十年も間違った方向に頑張っていた馬鹿な私。
喧嘩したら話し合い反省会を繰り返す私だった。
表面上は私に対して折れて仲直りに見せかけていた妻の本心は離婚への決意を固めて行っただけだった。
私は、妻の本心を知らずに二十年間くらい過ごしていた。
実際には離婚に向けて妻の意思は固まりつつあったが、今回はその話題は省略して、仲直りの方法を書きます。
この記事を読んでくれてる貴方も、もしかしたら今、夫婦喧嘩してる最中か?
- 喧嘩後の仲直りに苦労してるか?
- 話し合いが泥沼にハマるばかりか?
- 昔の私達みたいに、夫婦の片方が我慢しているだけか?
夫婦仲良く暮らしたいのにと悩んでいる人だ思います。
大切な人と喧嘩しても、ちゃんと仲直りして、それまで以上にたいせつにしたい。
そんな貴方の参考になれば幸いです。
私もそうですが、
夫婦で嫌な雰囲気を引きずるのが嫌だから、喧嘩したら、一刻も早く仲直りたいですよね?
相手を愛しているから早く仲直りしたい。
私が、そうだったから。
頭に来ているまま、話し合いをしても自分の希望の方向には進んだことがない。
そんな話し合いは、本当のところ
自分の正しさを認めさせ相手を責めて謝罪させたいだけ。
それに対して相手も正しさを主張して正面衝突になる。
正面衝突にならないなら、もしかしたらパートナーは喧嘩の土俵にすら上がってくれないほど冷めている可能性もある。
結果は、
妻が悪いとしても、自分の非を認めない、逆ギレして話にならない。
ああ言えばこう言うばかり。
私が更に強く言えば、妻も更に強く言う。
ますます泥沼にハマるばかりでした。
論理的に正しいかどうか?
それは男性の視点であって、
女性が「こいつの話は聞きたくない」と思ったら、内容は意味がない。
これでは双方が相手を嫌う気持ちを増幅してしまう。
仲直りの話し合いのはずが、ますます泥沼にハマる。
今は妻に憎しみが湧いているとしても、大切な人だったはず、本当は喧嘩したい訳じゃない
ここに気が付けば大丈夫。
これが本心であるはず。
喧嘩中でも、一人で冷静に思い出せれば、妻を愛おしく思う記憶は見つかるはず。
一つでも思い出せたら、気分が変わる。
するともっと沢山出てくる。
一人で頭の中で、二人の出会いから今までの人生で良かった頃の思い出を思い出す。
- 私が病に倒れた時に、妻が仕事をカバーしてくれた事があった時、苦労をかけたなあ。
- 離れだったデート初心者時代の2人、お弁当を作って、手提げカゴに入れてきた姿が可愛かった。
- 若い頃、贅沢を知らない人だったから、なんでも手作りでじみだけど、動物的な可愛さがあった。
- 私の好みの食事を手間暇かけて研究してくれた。
- 私には食物アレルギーが多く、
- 外食やテイクアウトも出来ない。
- だから妻が自家製で材料安心な美味しいものを作ってくれる。
- 自家製しか食べられないけど、有名店より美味しくなったし、最高に安心な材料の妻。
- 私が不得意なことを全部カバーしてくれる。
- 私の両親と私の折り合いが悪かった時期に板挟みで苦労かけたけど、なんとか仲介してくれた。
- 初めてディズニーランドに行った時に、アトラクション待ちが30分で、田舎者の私は長すぎると速攻帰る事にした。
- 暴君な私だったが、ディズニー大好きな妻に本当に悲しい思いをさせた。
- あれから私もいつのまにかディズニーファンになっているが、30分待ちは滅多にない幸運な日だと知るにつけ、あの日のことを、妻はどれだけ悲しかったのか、、、、
- 可哀想なことをしたと心より謝罪している。
- 初めてお泊まりデートのクリスマスでは、ラジオの公開録音でクイズに参加したり、景品で豪華なクリスマスケーキもらって2人でホテルで食べて楽しかった。
さっきまで、
嫌い
しか無かった。
でも、思い出が、思い出せたら、
こんなに
愛がある。
妻を思う気持ちが溢れてくるし、妻に愛されていたことも思い出せる。
喧嘩の原因なんて、
長い夫婦生活の中で沢山ある素晴らしい思い出に比較したら
僅か一部分。
たった一点に拘って妻を憎むほど、怒るのか?
取り憑かれた自我が剥がれ落ちると、下らない正しさ、よりも愛する人だった事がメインになる。
大切な人には、長生きして楽しく生きてほしい。
少なくとも私を置いて先にはゆかないで欲しい。
そう思うのは本心だし。
妻を大好きだからこそ妻を失いたくない不安である。
ここで、忘れてならないポイントは、
それを忘れて、私は妻に文句を言い、余計なストレスを与えてきた。
喧嘩しても対等な喧嘩ならまだ良い。そんな喧嘩は話し合いでもあるし、本心の意見交換にも出来る。
でも夫婦喧嘩でありがちなのは、日本は男性が威張る喧嘩が多い。
男性側は引っ込みもつかないし、妻が折れるべきだと思っている。
妻は我慢するしか無い理不尽な喧嘩。
私の場合、喧嘩で暴力は使わないけど、傲慢な意見の押し付け、正しさの押し付けの喧嘩はやってきた。
妻には長生きして欲しい、幸せに生きてほしいのが本心なら、無用なストレスを愛する妻に与えるのは本末転倒だ!
これだけは忘れてならない事だと思う。
この先の妻には少しでも長く幸せに生きて欲しい。
そして、日々を笑って過ごせる時間を増やしたい。
そう思うのが私の本心。これは完全な本心。
大切な妻と、大切な時を取り戻すための話し合いは、気分が愛する気分になってから。
私が、妻を愛する気持ちになってから話すと不思議なほどに心が通じる。
妻に対する感謝の気持ちが一杯になって喧嘩が本末転倒だと知ってからは、話し合いがスムーズに進む。
妙な誤解が生じることもないし、仮に誤解があっても、訂正すると、すっと聞き入れてくれる。
イライラのままに話し合いで解決しようとすると大失敗するの段違いである。
この作戦の繰り返しで今はラブラブだよ
だから、サル船長のパートナーシップ号に乗って見ませんか?
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