今では当たり前になった日常。
ここには、若い頃の夢だった幸せのカナメがある!
目次
若いサラリーマンだった私の日常
若い頃はサラリーマンやってた。24時間戦うリゲイン世代のサラリーマンのお手本。
出世して定年を迎えるのが夢だったので、仕事オンリーのバカな私。
定年退職または役員になるまでは、今は我慢だ辛抱だと先を急いだ。
それはもちろん家族のためだった。一心不乱に仕事に邁進した。
こんな日常
- 早朝四時に起床
- 5時の始発の総武線に乗り、電車を乗り継いで、バスに乗って、職場に到着が7:30位だから片道の通勤は2時間半から3時間だった。
- 帰りは終電ギリギリまで残業して、終電で帰宅したら日付を跨いでいたな。
- 土曜も自主的な休日出勤していたな。
妻、子供と過ごせるのは日曜日だけだった。
平日は家にいる時間は深夜1時から早朝4時半まで、つまり睡眠と風呂のためだったから家族との時間はない。
こんな勤務でもタイムカードは定時に押すから労働基準法にも問題なかった。
当時の私の悲しい思い出
私は妻と一緒にいたかった。
朝の起床の4時頃まで、布団の中で妻と抱き合っていた。
ウサウサと離れたく無い。でも会社に行かないと食べて行けないから行くしか無い。
早く定年後が来ないかな? と心底本気で願う若い私がいた。
金持ちが欲しいのは若さでありイコール時間らしい。
その究極の素晴らしい若さを当時の私は捨てていた。
二十代の当時の私は毎朝、早く定年後の世界に飛びたかった。人生捨ててた。
既に願いは叶ってた
今、私の仕事は、サラリーマンでは無く、自分の経営するの会社だ。
仕事でも妻と離れないで済まされる。
プライベートも一緒だから、24時間、365日、2人はいつも一緒にいられる様になっていた。
この生活になったのは30前半からだったので、夢はその頃から叶い続けていた!
人生最高の願いが叶っている
私のサラリーマン時代の最優先の願いは、妻と一緒に過ごしたいだった。
これが人生で1番大切な願いだった。
この最優先の願いが、起業してからの30年くらい毎日叶い続けている。
これって、既に超ハッピーな人生だったんだ。
サラリーマンを辞めた30代前半から60才になる今に至るまで、ずっと最高の日々だった。
30年近く、この夫婦一緒の生活が基本だったから、この幸せが叶っている事をウッカリ忘れかけていた。
私はずっと、毎日、最高の幸せな毎日が叶い続けていた!
もう忘れない
私は、妻と共に居られるだけで幸せで、それは何よりも優先だった。
いつの間にか叶っていたので、当たり前の日常になり見逃していた。
だが、これこそ私の究極の幸せの形だった。
忘れたら勿体無い。この幸せな毎日を堪能しよう!
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