お気に入りの一節、究極の損得勘定(小林正観)→正岡子規

今日、今のサルに偶然飛び込んだ一節

サルは親指痛風が終わろうとする今、連続で発生した人差し指の痛風に苦しんでいる。休む間もないよ。

だから痛みに耐えながらブログを書いている。そんなサルに痛み、病、を気にしない精神を正岡子規をお手本に小林正観さんがお話ししてくれた気がする。

「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」

この句は、子規が28歳のときに、病床を抜け出して一人で奈良に行ったときに詠んだものです。旅の途中で痛みに耐えながら詠まれた句とは思えないほど、人の心を癒やすものであり、痛み、嘆き、死への恐怖というような内面の問題はいっさい旬の中に投影しないという子規の文学論を実践しているように思えます。

彼の文学論や生き方は私の「見方道」と通じるものがあります。

死と隣り合わせで血を吐く自分の姿をも笑いのタネにし、痛みや嘆きというものを句の題材にしなかった子規という人は、いわば”強靱な精神”を持った人と言えるでしょう。

強靭な精神力とは、ボーっとすること。なにも感じない自分をつくることです。

私たちは、「問題を認識したうえで、どうするか」を考えます。しかし実は、それでは永遠に問題はなくなりません。では、「問題を認識したけど、気にしない」と思うことにしたとする。それでも、「見方道」としてはまだまだなのです。子規のレベルにはまだぜんぜん到達していません。本当に”強靱な精神力”を持つには、「問題を認識しない」こと。

強靭な精神力とは、「強くなる」方向に努力して頑張って手に入れるものではないということです。子規のように、死病をも笑い飛ばして、問題を問題としない、力を抜いた生き方のできる人が本当の”強靱な精神力”の持ち主ではないでしょうか。

サルも損得勘定多いから人格者を目指そう

著:小林正観
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サルの一言

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サル船長とウサウサ航海士
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