お気に入りの一節、究極の損得勘定2(小林正観)→1%の人

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教育システム

これまでのあらゆる教育システムは、「夢や希望を持ちなさい」と教えてきました。世の中は、99%の人と、1%の人に分けられます。100%の人が、学校教育や社会に出て働く中で、闘うこと、抜きん出ること、人と争うこと、較べることを教わります。教育と名のつくものは100%これをやってきました。しかし、世の中の人は100%そういう方向で生きていくはずなのに、1%ほど、その教えから外れる人が存在しています。99%の人が歩んでいる路線とは、違う価値観で生きていく人がいる。その1%の人たちとは、大病をした、大事故に遭った、災難、トラブルに巻き込まれた、寝たきりの親の介護をずっと何年もしてきた・・・・・・ということを体験した人。その中で初めて、何事もない、当たり前の日々がたんたんと過ぎていくことがどれほど幸せか、ということに気づいた人々です。そういったつらい思いをしたことによって、普通に生活できることがどれほど幸せか、を感じることができます。たとえば、捻挫をして1週間歩きにくくなったことによって、治ってから普通に歩けるようになったことが、ものすごく幸せに感じられます。

このように、病気や事故や災難ということを通して、幸せの本質に体験的に気がついてしまう人が1%います。

その人たちは、何かを手に入れなくても幸せを感じられるようになったので、ものすごく幸せでラッキーな人と言ってよいでしょう。では、その幸せを感じられる理由となった病気や事故や災難やトラブルは、不幸なことだったのでしょうか?その答えは、それは不幸などではなくて、「幸せの前半分」だったということです。大病をしたことと、そこから回復して幸せを感じられることは、ワンセットになっていた。それで、闘うこと、抜きん出ること、人と争うこと、較べることが、自分の人生の中になく、ただ、普通に歩けること、普通に食べられること、普通に話ができること・・・・・・すべてが、ありがたくてありがたくて手を合わせることができる、そういう人が1%生まれるのです。

この人たちは、「持っていないものを挙げ連ねて、それを手に入れることが幸せだ」と教えられたにもかかわらず、ある時180度方向転換をして、「今のままで充分幸せだよね、必要なものは全部いただいている」ということに気づいてしまった。自分も、目の前の相手も、今のままですでに100点満点であると思えるわけです。

サルの所感

痛風に苦しむ事、今日現在で既に一月。痛みの無い足があるだけで、どんだけ幸せかを知る。

仕事は大切だが、そもそも、足が痛ければ仕事も出来ない。

家庭の事も出来ない。

仕事が出来る足がある事がそれだけで幸せで、中味にトヤカク言うのは贅沢な悩み。

家事が出来る事は幸せだ。

サルの一言

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サル船長とウサウサ航海士
サル船長とウサウサ航海士