気分は他人にコントロールされてない 実験11日目(2020/01/16)
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ウサウサ(妻)
ウサウサ(妻)アラシー?約60才。
自分を可愛いウサギかクアッカワラビーだと思っている。
前者(心屋仁之助さんが定義した前者後者の前者)で、社会人として有能な人。
でも勉強が嫌いだから四文字熟語をほとんど知らないし、脳味噌は子供に近いよ。
- 不要な価値判断の観念が無いまま大人になった人。
- 曇りの無い目(心)で、ありのままを見ている人。
そんな印象なのがウサウサ。
サル(筆者)
サル(筆者)は60代男性です。
なぜサルなのか?それはサルに似ているとウサウサが言い始めたのがきっかけ。
最近まで自分が有能な人類だと思って生きて来たので相当嫌なヤツでした。
典型的な後者なのに、前者だと思って最近まで生きて来た為、大迷惑な存在だったかも知れない。
ウサウサが大好き過ぎてキモいと言われる事をする。
シマキチ(ネコ)
一年位前に我が家に来た元は保護ネコちゃん。
キジトラのメス猫。
性格は、まるで人間が入っているかと思うほど頭が良い一面もあるし、シバ犬のような馬鹿っぽい可愛さもある。
そんなシマキチは、今ではサルとウサウサの娘になった。
娘が元々二人いたけれど、二人とも嫁いだので今では三女のにゃもだけが同居する娘だ。
目次
今までは、他人に気分を制御されて当然だった。
- あの車が割り込んだから気分が悪い。
- あいつが理解力不足だからイライラする。
- 天気が悪いから気分が滅入る。
- 親の頭が硬いから気分悪い。
気分を害して当然なスタンスだった
あの車が割り込んだのが悪い。だから私が気分を害するのが当然である。
むしろ、これで気分悪くない人が居たら、その人はバカでお人好しで甘く見られる人である。
そこに疑う余地も無い
割り込まれたら怒るのが当然で、それは万有引力の法則並みに、人類の法則だと思って疑問を挟む物ではなかった。
ところが妻は違う反応
同じ割り込まれた危険運転された場面でも、私と妻は全く違う反応になる場合が多かった。
それどころか、妻は、割り込みで気分害して怒っている私を責めてくる。
私の反論
私が割り込みに怒った時、妻に責められた場面での私から妻への反論
ママ(妻)は、他人に優しくて、俺には厳しい。
割り込みを防ごうとする運転は怖いから二度としないで。
悪いのは、ウインカーも出さないでルール違反して割り込むアイツであって、俺は被害者だし。
ママは他人には寛大で俺にだけ厳しい。
気分良く過ごす事を第一優先にして変化
割り込みされた怒りは、単なる一例で、全てにおいて、私の怒りの沸点と、妻の沸点がずれており、それはお互いに逆になる場合が多いのですが、そこにはお互いにどうしようも無い事だと思ってました。
気分良く過ごすのは自分が選択可能
この十日間、私は何よりも気分良く過ごす思考の選択を第一優先にして来ました。
それはまるで、坐禅や瞑想の時間にやっている思考の観照を日常の全てに拡大させた状態でした。
気分良くなる原因が目に付く
多分、引き寄せの実験前の実験から十日間も、日常にやってくる出来事(割り込みされる頻度とか)は同程度なのに、気分良い事を選択するようにしているだけで、気分良い理由ばかりが目に付く。
割り込まれても怒りは引きずら無い
例えば、割り込まれた場合も、クソ、ダンプカーに衝突して消えろ!と瞬間的に言いたくなるが、それで終わり。
その先は、大事な自分の気分維持のために、視線を変えて忘れる。
ただ、それだけで、割り込まれた事実は消える。
確かに目の前の一台は、さっき割り込んで来たルール違反の車が今も存在給している。
でも、自分の意識が、気分良い思考を選択すると決めただけで、割り込んだ車を見る気分ではなく、ただの車になる。
割り込んだ後でノロノロ運転する車を以前なら怒り倍増だったけれど、今は、割り込んだクセに!ではなく、単なる遅い車にしか見ない。
それよりも、ノロノロ運転されている最中は、運転自体は車のクルーズコントロールにでも任せて、気持ち良い天候、自分の車のクルーズコントロールを堪能してそれらに感謝している時間になって来た。
サル(筆者)は、引き寄せの法則も健康食品も素人で1ユーザーに過ぎません。
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