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ラブラブ夫婦も色々経験して今がある
世の中には喧嘩をした事がないカップルも多々いるようですが、そのようなケースは別として、昔の私のように喧嘩が絶えないカップルもいるはず。
でも、それで失望することもありません。
そんなだった私ですらも今では
会う人全員から本当にいつも一緒で仲良しなんですね。
と驚かれるほど仲の良い夫婦になってます。
私は大学生時代に、今の妻と知り合いました。
そして、大学卒業と同時に私が23才で結婚しました。
学生時代の私は中学、高校、大学とずっと優等生でした。
成績も生活態度も全部が優等生で、先生や親に信頼されて、自分は優秀で正しい人間であると信じ込みました。
妻に対する私は嫌な奴
妻は勉強嫌いで、学校で習う常識的な熟語や英単語の大半を知らず、常識も持たず、当時の嫌な奴だった私から見て、学生の本分を忘れている人だと当時は思ってました。
私は、妻に対して絶対に正しいと自分の考えを押し付けてました。
(今は自分は妻より頭は悪い事を知っているし、常識はずれな変人だと知ってます)
当時の私は、妻と意見があわない時、妻がおかしいのだ。
私の意見、判断は、絶対的に正しいんだから黙って従えば良いと言ってました。
運動神経も抜群に優れていて、走れば学校で一番速く走れるし、垂直跳びも1m弱とダントツ。
私がスポーツが好きだったらオリンピックにも行けそうな運動神経がありましたが、スポーツが嫌いでリレーの選手などに選ばれてばかりいるのが苦痛で、運動会は雨が降れば良いのにと願う暗い人間でした。
おそらく選手として目立つのが怖い。
一番速いのでいつもアンカーでしたが、アンカーを走ると責任が重そうで嫌いでした。半周の差があっても追い越せるほどダントツのスピードで誰にも負けない事が明白なのに、それでもアンカー責任を追いたくない変な人間でした。
それでも記録する数字だけ見たら文武両道と言う感じで、自分はパーフェクトだと思っていたんです。
道徳、倫理、常識、善悪、これらの大人から叩き込まれた判断基準を守っていた時代です。
私はそれだけを人生の指針として、心のないロボット人間でした。
私の性格なんて物は一切なく、叩き込まれた常識が私の人格の全て、常識が服を着て歩いてる。
好き嫌いなんて論外で、全ては善悪、損得、有利不利でジャッジするだけの脳味噌でした。
こんな最低最悪な旦那でした。
このままでは夫婦仲良くなんて出来る訳が無い。でも、自分が正しいと信じていたので、妻の軌道修正をするのは善意だと信じて疑わない人でした。
対照的に自由な妻
出会った当時の妻は、専門学校に通う一歳年下でした。
妻の性格は、人工知能のような私とは全くの正反対で、善悪判断がほとんど無く、好きか嫌いかで選択する自由な人でした。
職業や地位で人を判断することもなく、立場の上の人を立てて謙る事もせず、見ている私はハラハラして、それがまた喧嘩の原因でした。
妻は学校の勉強には興味がなく、当然ながら成績は悪く赤点取り放題、自由な生き物でした。
正直、堅苦しかった私から見ると、どっちかと言えば不良に近い側なので、修正して正しい道に引っ張るのが私の役目と思ってましたし、つまり本来は私の好みの女性タイプでは無いはずでした。
相性最悪でも惹かれた
堅苦しいロボットだった私が、思考回路的には絶対に引かれるはずが無い女性が妻でした。
それなのに、なぜか出会った当日から離れたく無いと言う意味不明な心が私の中にはありました。
心なんて無い状態の私が唯一、妻と一緒に過ごしていたい気持ちだけはありました。
これって、頭は嫌いだと言うのに、ハートが好きだと言っていたんだと思います。
ハートに従って選択して本当に良かったと思います。
2人の出会いはコンパでした。
堅苦しい私がコンパに行く時点で奇跡的でした。
運命はなるようになっているんでしょうけど、とにかく、奇跡的なコンパ参加でした。
それから毎週のようにデートを重ねて、徐々に毎日のデートになって行きました。
喧嘩ばかりする2人
出会いから数ヶ月くらいで会えば喧嘩が絶え無い状態になりました。
喧嘩と言うよりも、私の常識を妻に押し付けるが、そんな観念を持たない妻は理解しないから守らないの繰り返し。
「この前俺は言ったよね?」
「〇〇も分かったって言ったよね?」
と毎回の反省会でした。
(ちなみに今は反省会は基本的にありません)
何度反省会を開いても、3時間コースで喧嘩して、お互いを理解しあったつもりでも、一方的に私の常識で教育的指導と言う名の迷惑行為で頭の良い妻には馬鹿馬鹿しい話だったはず。
今思えば、なんてひどい事をしたのかと思いますが、当時の私は自分の常識は正しいと信じて疑わず、頭の中には常識だけで心ある私は霧の中、いつ覚えたかも分からないような常識を疑う余地もなく、妻の為になると信じて、善意のつもりで喧嘩してました。
そんな2人は、何度かホントに別れかけるのですが、出会った当日から不思議な引かれ方をした私は、結局は妻と本気で別れる事など出来ませんでした。
妻も、そんな暴君な私を見捨てずに、毎回仲直りしてくれました。
人生の転換期
一度は、最後の重症な喧嘩では、私は一瞬、今度こそホントに捨てられましたが、何とか私の方から許してもらいました
今思えば、これで上下関係が逆転したのが、仲良し生活への第一歩だったんだと思います。
こんな最悪がラブラブになる経過は次回から
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