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生きている今を蔑ろにして、将来の為に浪費
思えば、子供の頃からそうだった。
- 小学三年頃の記憶だが趣味を選ぶ基準は将来有利になりそうな趣味だった。
(今思えば、この有利で行き着く先は勤労所得者として有利になる為の進路。誠に馬鹿らしいが、本当は損得感情抜きなら他にも選択肢があったのでは無いだろうか?) - 学生時代の進路決めも就職に有利かだった。
(本当に学びたい進路だったのだろうか?) - 中学高校の勉強で、時間を有効に活用する為(この時点で損得計算)、共通一次試験に出ない科目は非優先。
(好きな科目は共通一次試験の科目以外にもあった)
大人になり、五十代後半の今
今でも似た状態かもしれない。
目指す目標が勝者ではなくなった、その代わりに死ぬまで足りる資産、死ぬまでそこそこ自由な健康状態に切り替わっただけ。
(健康に良い悪いを考えて食事を決める、貯蓄か投資か考えるとか)
今は五十代後半だが、そこから更に老後、つまり死ぬまで安心を目指して生きたい。
その為に少しでも有利にしたいと、今すべき事を考えている事が多い。
人生を良くしようと考えてるが、その今が人生そのもの
生きる為に努力して、生きないまま死ぬ所だった
結局マインドは、少しでも有利な条件を探してる。それは自分を守ろうと頑張ってる事は嬉しい。
それが行き過ぎて、永遠に今を蔑ろにして、明日の為にだけに今を使っていたら、いずれ寿命が来た時にはどうなるか?
生きたい!と願う人生は、それこそが「今」じゃ無いのか?
このまま先々の事を考えてばかりの人生で進んだら、寿命が見えた時、その日は必ず来るけど、
- 「それまでの人生は一日も生きてない」
- 「人生の予習している内に終わった」
と後悔するのではないか?
生きたいと願う人生は、それが「今」じゃ無いのか? とハッとした。
生きる為にと、せっかく生きている今を、生きないでスルーするバカだった
そんな今でも今日だけで明日に生かされるならまだ良いけど、明日になっても、明後日も連続だった。今まで五十年以上そうだから、このままだと死ぬ直前まで老後の為、老後の為だったはず。
でも、その隙に、大切な人生そのものである「今」を見ないまま寿命が減っていた。
先の心配ばかりする事で、いつの間にか、人生そのものを見逃して歩いていた気がする。
良く考えたら、大半をそんな過ごし方している。
若い頃の失敗談
関係あるような、無いような話だけど、
私は若い頃に悩み事、考え事する時間が多かった。
映画館でも考え事してた
せっかく映画を観に来たのに、ずっと考え事してる間に映画の大半は終わっていた。
映画を人生に例えたなら、考え事してる間に、人生が終わったのと同じ事で、とても恐ろしい習慣だと思う。
これから改める事=ちゃんと人生を生きる決意
今だけは考えないで味わう
この繰り返しで、毎日の今を生きてみたい。考えてないで、今、人生を味わう
今までの人生の浪費場面はこんなにある
- もっと良い過ごし方は無いか?
- 効率的なやり方は無いか?
- すべき事は無いか?
- 考えてばかりは止める。
- 今の体験を感じる事を忘れるのは辞めたい。
- 生きたかった人生は、今、そのもの。
- その今がこぼれ落ちている。
- 死にたくないと思うのに、折角生きている今を生きてないなんて、死んでるようなものじゃ無いか?
- 死にたく無いくせに、今を大切にして生きてないのは変だ。
人生を半世紀浪費してしまった後の感想
それが、この今日の日記。
人生を大切にしたいなら、それは今だなあ。と本当に思う。
過去は勿体無いけど、それでも自分なりに一生懸命だったのだから仕方ない。
でも今からは、今やりたい事をやって人生を、今からちゃんと生きる。
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