幸せは周りに沢山ある事に気付いたら、探す前から幸せを感じてみる

ウエスティン

毎日の日課も惰性になる

痛風が治らないままで幸せだと思えた経験から、日々の日課として身の回りに既にある幸せカウントが趣味になっている。

とても気分が良くなる日課だとは思うものの、身の回りに溢れる幸せの素は、大体いつもあるので少々惰性になって来たのが感じられる。

昔は気付けなかったそれらも、今は探す気になれば沢山溢れている。

この点は疑いようもない真実になり、私の信念になった。

次の自分の課題

どうせ身の回りには常に幸せの素が溢れている。

幸せは探すまでも無い信念になっている。

一々幸せ探す必要ある?

ならば、

一々、身の回りの幸せ探してリストアップしてないで、最初から幸せ気分で過ごせば良いんじゃ無いだろうか?

まだ数日の感想として

この新しいチャレンジに切り替えて、まだ数日での実態は。

うっかり忘れて、気分を害していることがあるので、その都度、いつもの幸せ探しして気分を切り替えたりしてる。

不機嫌な私

そんな時は、俺ってまだまだだなあ。と自分を小さく責めていることがある。

ご機嫌な私

でも、うまく出来ている時間帯もあって、そんな事が経験されていると、誰かのセリフは真実だったと思い始めている。

その誰かのセリフは、「幸せは自分の中にある」とか「自分が幸せだから、外の世界に探しても見つからない」とか言うセリフだったような気がする。

そんなセリフは、馬鹿馬鹿しくて聞いてられないと思ったのが、その当時の私の正直な本心だったと思うんだけど、あれは本当っぽいと思っている今日この頃。

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こんな人が書いてます

お気楽ポチ(シバ犬になりたい)
お気楽ポチ(シバ犬になりたい)サイト管理者
凡人で、高齢者(定年退職の年齢)で、特別なにも無い人、いまさら引き寄せの法則に興味を持ち実験して果たして物になるのか?
ポチのアメブロのやってます。
ポチのアメブロ

そんなブログですが、今更ブームも終盤の引き寄せの法則に、高齢者が実験中のブログ公開して誰が見るのか?

とか言っている間に、実験スタートしたばかりでコロナ時代になって景気後退、さらに痛風に襲われて死ぬほど痛い中でも気分だけは俺の自由だと強がっている。
そして誰の役に立つのか?
と言われそうですが、それは私の役に立つからです。

ブログを書こうと決めた事で、日々の生活の中で思考を眺め続けるモチベーションになる事を発見!

引き寄せに大切な良い気分の選択を持続する為のモチベーションにつながるからです。

引き寄せの法則的なブログの人や著者達は沢山いるけれど、彼らの人生を読んでみると、子供時代から普通と違っていたりして、そもそも最初から違うんじゃ無いか?彼ら彼女らは特別な人類だと思うエピソードを目にする都度、この人も別格か。そう思ってゲンナリします。

それでも諦めきれない私がいます。

超凡人だし、間もなく定年退職年齢だから若人と違って知識と経験と体力をこの先に付けられる状況にない。こんな私にも引き寄せなんて出来るのか?常識的に無理すぎる現状からスタートする引き寄せ実験をブログに加えました。
アメブロは主として自分の備忘録として他人の興味あったブログをブックマーク目的で活用中。

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