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私の判断は罪悪感〜だったが
私の人生は罪悪感に従って来た道のり。
判断は、罪悪感を感じないように正しい道を選んで来たのかも知れない。
- 親孝行に反するのが嫌だから → 好きな行動できない
- 夫婦水入らずでドライブしたい → 運転免許証を返納した親も連れ出さないと可哀想 → 二人だけで出かけても半分は気分が楽しめない → この先の人生は妻を1番にと言ってたのに何やっているのか?と次の罪悪感が出てくる
- 親にまだ十分恩返しが出来てない → 罪悪感で自分に大金かけにくい
- お客様に請求金額を高くしたい → 競合他社より高いと罪悪感で
- 路駐しても問題が無さそう → 罪悪感で遠くに止めてとても大変な思いをする
- 結婚記念日にブランデーグラス10万円相当が地元店舗になくて他店舗から取り寄せた → 実物みたら欲しくないが悪くてキャンセル出来ない
- 夫婦で遊びに行く予定の日に親の病院送迎頼まれた → 遊びを選んでも罪悪感で楽しめない
その罪悪感は必要か?
私の日常には、上記の様にいつも次々と罪悪感が忍び寄る。
しかし、その罪悪感は本当に必要か?急に疑問になった
罪悪感って、私の人生に役立っているのか?
罪悪感を感じないように正しい人で生きて来たら、人から後ろ指さされない。
とか
嫌われない
とか
自分にメリットがあるからと本心の誠意じゃなく、自分に嘘ついて我慢で従って来ただけだったのかも知れない。
相手を思いやっている訳じゃなく、罪悪感が怖くて、自分の保身でイヤイヤながら従っているだけ?
しかも、その保身は役に立ったのか?
自分を犠牲にして自分に我慢を強いてまで罪悪感に従って保身をしても役に立ったのか?
- 私が罪悪感を感じている時に、その相手が気にしてたか?分からない。
- 自分の気持ちに我慢させて罪悪感に従っても、両親に感謝されるどころか、逆効果だったことも多い。
- その時に我慢した私は、相手に恨みまで感じてしまう。
- 1番大切な私の心を気分を台無しにする。
- 私の保身の罪悪感で、私の気分を悪くして保身じゃなく自分虐めになって?
罪悪感は役立たず?
本当に相手に何かしてあげたいなら、罪悪感では無く、やりたいと言う気持ちからすれば良い。
相手に悪い事した、迷惑かけた、と謝罪するときも、罪悪感では無く、素直にごめんね。で終われば良いのかも。
罪悪感はパフォーマンスを落とすだけ
こうして見ると、罪悪感は自分を守る(人から嫌われないため)道具だったはずだが、実際は嫌われていたし、罪悪感があると自分のパフォーマンスが落ちて逆効果だったのかも知れない。
罪悪感で気分を暗くせず、その場その場で気分良く生きた方が良い行動につながるような気がしてきた。
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