目次
今朝のトイレで思ったこと
でも若い頃は、快便とか便秘とか考えもしなかった。
快便が当然で、便秘なんて全く他人事で自分の世界には無い話だと思っていた。
40代後半くらいから? 私も便秘がデフォルトになったような?
気が付けば、大便が三日位出てないかな?が珍しくない体調になっていた。
こうなって見ると初めて、快便って幸せなんだなと知ることになった。
ところが、快便も2週間くらい継続すると、快便が当たり前になって、便通の都度の感動は無くなっていた。
久しぶりに便秘が数日になると、便が調子良く、気持ち良くペロンと出ることがどれだけ幸せだったのかと知る。
うんちうんちと何を言いたいか?
60歳のサルの発見はこれだけ
若い頃は幸せな毎日の快便があっても、幸せだと気づくことが出来ない。
それは当たり前だと思っているから。
当たり前 <ー> 感謝
これって対極にある。当たり前があるから感謝もある。
年齢を重ねて身体の調子が悪くなったら幸せが見えるようになった。
身体の問題<ー>快便の幸せ
問題があってこそ幸せが作られる。
この先の老後が予測可能
60歳のサルには、若い頃に見えなかった幸せが見えてきた。
当たり前だったことが実は大きな感謝だと知る事ができた。
この先、年齢を重ねて行くと、今は当たり前だと思っている60歳の日常の中にも大きな感謝が沢山あると予想される。
例えば、と探してみる。
60歳の私は車を上手に運転してどこにでも行ける自由があるが、高齢になって運転免許返納する時期が来ると当たり前だった自家用車生活が消える。
60歳の私は手足に痛みが出ても、運動、リハビリ、治療で治るが、高齢になったら治らないかも知れない。
60歳の私は目が見えて、耳も聞こえるが、高齢になったら視界がボヤけて、耳が遠くなるかも知れない。
60歳の私は明日も生きられる前提があるが、高齢になったら翌朝も生きているとは限らない。これは若くても突然死とか事故死があるけど、そこは別として。
こうして、当たり前の事を、当たり前ではなくなる将来を書き出して見ると、気づいた事がある。
60歳の今は、当たり前の事が、当たり前に出来る24時間の大半で感謝すべき状態に包まれている。
今、こうして椅子に姿勢を正して座って、エアコンを操作して、iMacを操作してブログに日記を書いている。
これも体調が悪ければ、そもそも椅子に座れないし、目や指が不調だったらiMacも使えない。
当たり前にやっているブログ日記も自由自在に使えるのは今が恵まれているんだ。
そうだ体だけじゃない。
電気が来ている。iMacがある。エアコンがある。インターネット契約がある。当たり前だと思ってしまいがちなこのブログ環境、住宅環境すらも素晴らしい。
40年くらい前ならパソコンも一般にはなかった。
インターネットどころかパソコン通信だってなかった。
おそらく30年前くらい?パソコン通信(モデムで電話代気にして通信)が始まった。
日本語だってD0S/Vで文字化けも多く、文字を書くだけでもコツが必要だったし、画像なんて使えなかったし、今こうして装飾を多用してブログを書けるのはすごく幸せな環境だ。
今日、というか、毎日をこんな視点で生きていたら幸せが沢山感じて最高の日々になるんだなあ。
忘れたくないな。今の気分。今の視点。
今日の日記のまとめ
年齢を重ねるメリット
快便の幸せを知る事ができた。走れる幸せを知る事が出来た。
これは加齢から一度は失ったからだ。しかも一度失っても取り戻せる時間がある60歳だ。
この先に取り戻せない年齢になってしまう前に、今60歳で出来ていることは全て当たり前じゃない。
とっても感謝なんだと味わって丁寧に生きたい。
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