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釈迦の教えは感謝だった(小林正観)

引き寄せの法則の実践と、宇宙への宣戦布告は紙一重だと思った。
「収入が少ないので、もっと収入を増やしてください」とお願いしたとする。神社仏閣に自分の足で行くことができたということは、今日まで食べてこられた、その体を保つことができた、ここまでやって来る交通費も払えた。来るだけの時間的なゆとりも取れた!そういうことです。その意味でいうと、それだけでもすごく恵まれています。ほんとうに恵まれていなければ、神社仏閣に来ることさえできません。経済的にあるいは身体的に、それが許されない人さえいるのです。それなのに、もっと売上を上げてくれとか、利益を確保させてくれというお願いは、いま十分に食べられるようにしていただいているという現実を超えて、「もっともっと、まだまだ」という「驕り」となります。結局、そうしたお願いは、神に対して賞戦布告になっている。
サルの場合は、神社には感謝にしかゆかないけど、引き寄せ実験としては、高収入を望ませてあげる事が大切だと考えて来た。
これは既にあるプレゼントにお礼の言葉もなく、高望みだけする行為は、宇宙のプレゼントした現状が気に入らないと文句を言う可愛げのないサルなんだ。
しかし、小林正観さんの言う通りで、毎月のお参りに行く事が出来ている時点でサルはかなり恵まれているんだな。
既にある沢山のプレゼントに感謝してたら、もっと収入増やしてくれ!と言う暇もなく、感謝ばかりなんだな。


サルが読書してお気に入りの一節。
サル自身の為の備忘録として。
もしかして誰かの心にタイムリーだったら?
是非、この本を買って読んでみて!お勧めだよ!
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