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スポーツジムで悠々自適な目上の人との会話
私はコロちゃん禍前に、1年間以上の間、ほとんど毎日皆勤賞で午前中数時間、夕方2時間程度とスポーツジムに通いました。
ジムの休館日以外、それと稀に仕事で行けない時を除くほぼ毎日でした。
そんなに足繁くジム通いしていた現役世代は稀でした。皆勤賞仲間の大半は、ご高齢で既に年金生活になっているか、経済的自由を手に入れた裕福なご老人でした。
私は、その人達が羨ましいと思ってました。
全く働かないでも死ぬまで安泰な年金がある。
あるいは資産があって遊んで暮らせる。
貴方は、働く必要がなく、毎日をジムに専念できて羨ましいです。
私は、仕事で来れない日もあるし、一生安泰な年金なんて貰えそうもないし。
とか話したら、それに帰って来た言葉は
私は貴方が羨ましいよ。
すべき事がある。それが幸せでなのですよ。
毎日、何もする事がなく、ジム通いしかないのが寂しいモノです。
何と驚いたことに、お互いに羨ましいと思っていた
すべき事(仕事)がある私
から見たら、働かないで食べて行ける年金世代が羨ましい。
年金世代の人
から見たら、すべき事があるってのが羨ましい。
ミツロウさんの言う「時差ぼけ」と似ていると思った。
ただ、この年金世代の前後の時差ぼけは、後者になって気がついた時には、タイムマシーンが無ければ取り返しが付かない。
私はジム通いしていたお陰様で、まだ時間が残されているうちに、素晴らしい話を聞けてよかったと思う。
すべき事がある幸せを、今の年齢で知る事ができたから。