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私の人生は「早送り」ばっかり
私のほとんどの時間は、常に先を急いでいた。
より良い将来の為に、人生を早送りで急ぎ足で生きて来たが、それは大失敗だった。
学生時代
- 中間試験は一ヶ月前から準備初めて辛いから試験期間終了まで早く時が進めと祈っている
- 嫌いな体育の時間は、早く終わりまで進めと待っている
- 学校が嫌いだから下校時間まで早送りしたい
- 早く卒業して大人になりたいと思っていた
学生時代の中学から大学までの十年間は、無事に就職出来るまでの面倒な頑張る時間にしか見えなかった。
早く大人になってしまいたいジャンプしてしまいたい季節だった。
社会人になってからは
社会人になったなったで、同じ人生を早送りしたい繰り返しだった。
- 毎週月曜の課内会議が怖いから、早くその後の時間(AM11時終了)になって欲しい
- 週末になると、月曜が過ぎ去って火曜になってほしい
- 朝が来ると、帰宅時間が待ち遠しい
- 次の連休が待ち遠しい
極め付けは、早く定年退職した年齢になりたい。そこまでは我慢と無駄な時間と見ていた。
日常の細かい早送り
- デパートの買い物だと駐車場が満車にならない内にと道を急ぐ
- 無事に駐車場に入れたら、デパ地下レジが長蛇の列にならない内に手早く買い物を済ませたいと焦る
- 生魚を買うと帰宅まで急いで鮮度を保とうと焦る
- 帰り道は、渋滞を回避して有利に走ろうと焦る
- どの車線が有利かな?と常に気が抜けない
- 車庫入れのために対向車が来ない内にと慌てている
- 夕食の時間が近くなると、早く準備を済ませてディナータイムを楽しみする
- ディナーが終わると、後片付けが終わって妻とベッドに入るまでが早く済ませたい
スキー場でも
- リフト待ち行列に一人でも抜かれないで並ぶ焦り
- リフトに乗ったら頂上が待ち遠しい
- 頂上に上がったら、転倒せずにリフト乗り場までスムーズに降りて、もう一回と焦る
- 後、3回滑ったらロッジで座席を確保して昼食だとそこまで焦る
- 午後の滑りでは、XXコースを3回滑って、渋滞前に山を降りようと焦り始める
- 発車すると、首都高速の渋滞前に通過しようと焦る
ブログを書くとき
- 書きたい事があったから書き始めるのだが、書いている最中は、書き終わるまで一心不乱にブランドタッチを急いでいる。
- 書きたいから書く → 書き終えるまで が すべき事となる。
これでは人生の大半が早送りだ
私の人生は大きな節目(就職など)に限らず、日常の細かい節目に至るまで、行動開始したら終わりまで一気に進めるすべきことに早変わりする。
人生の大半がそうなっていて、今、この瞬間に、どっしりと寛ぐ時間など無かった。
スキー場やブログなど、好きなはずの時間帯まで、始めたら終わりを目指して焦り出すなんて。
始まったら終わりに向けて焦るのは馬鹿だった!
私の人生は、妻との時間が最優先。
幸いにも仕事も、私生活も、私は妻と過ごせる。自分の経営する会社である。
人生半世紀を超えた今、妻と過ごせる残りの人生が何年あるのか?と思うようになって来た。
だったら、そんな貴重な妻との時間を一瞬も無駄に早送りなんて出来ない。
全てが夫婦の時間
結婚して妻と二人の生活である今。
人生の全ての瞬間が妻との時間であり、愛でて過ごしたい時間だったはず。
渋滞に巻き込まれても、買い物のレジが長蛇の列でも、ブログを書いても、スキーに行っても、食事の準備中も、食事の後片付けも、どの瞬間も妻との時間である。
早送りしたい気分で過ごしたら、その愛でたい時間を見ないで生きていた。
大体にして、渋滞は移動の一部分。
食事の準備もディナーの一部分。
後片付けもディナーの一部分。
そして、全ては妻と二人の人生の一部分だった。
どの瞬間も早送りなんてしたくないのが本心だったはず。
「すべき事」と言う言葉。その妙な急ぎ癖に騙されていたのかもしれない。
今日からは全ての時間が大切な人生の一部分。
どこにも消えたら良い、ジャンプしたら良い、早送りしたい時間なんて無いと忘れないで生きたい。
妻と二人で過ごせる奇跡的な人生に感謝
普通の男性なら働くのは外だから、奥さんと一緒に過ごせる時間は限られている。
私は幸いにも自分の会社だから妻と一緒である幸運。
大事に過ごしたい。
死ぬ時になって、ああすれば良かったと後悔しない人生を。
十分に楽しんだし、好きな選択をしたと思える人生を送りたい。
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