坐禅の視点

坐禅をするようになって8年くらい?

色んな事を坐禅から教えられて来たけれど、なんと言っても驚きは、この私とは、単なる思考でしか無かった事。

この身体の中には、この私が住み着いていると信じていたけど、そんな存在は無く、思考そのもの、言葉がある。

それを駆使して使いこなしている主人となる私が存在すると思っていたのだけれど、

思考=言葉

それしかなかった。

なんだ、私なんて居なかったのか。

と理解したつもりになるのだが、その理解したのは?それは誰が?

居ないはずの私が理解した気になっている不思議。

坐禅している時も、坐禅しようとする私がいる気になるし、今日の坐禅は思考が多いなあ。と思考それ自体の私が語る(笑)。

タイマーが鳴れば、そろそろ坐禅終了しようと思考が湧く。

思考を行う視点では無く、思考を眺める視点にシフトすると、全て他人事になるので深刻さは減るのが良かった。

サルの一言

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サル船長とウサウサ航海士
サル船長とウサウサ航海士