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引き寄せるには、良い気分から
引き寄せの法則を知って、実験開始してからの日々は常に良い気分を選択する繰り返しでした。
なぜながら、引き寄せ系の本でもブログでも常識中の常識が良い気分、ほっとする、などのキーワードだから。
実験するなら良い気分の選択はマストアイテム。
知らぬ間に分別心の強化
そうして既に13日目?良い気分を選択するのも意外と楽になって来て、まあまあヘビーな嫌な出来事や不安になって当然な事が頭に浮かんでも、あまり面倒臭い手順を踏まなくても、簡単に良い気分に戻せるようになって来た。
それは別段、無理して悪い事から良いことに変換する力技ではなく、そもそも良い気分がベースになって来た感じ。
自然と良い気分に意識が向いてしまう感じ。
嫌な事があったからと、嫌な気分で過ごしても、その嫌な事が何か変わる訳でもないから、ダブルで損するだけの事だし。
少し前は不別心が強化されていた
今日現在は、まずまず良い気分を選択可能になって来て気が付いた事がある。
引き寄せの実験をスタート間もない数日くらいの時、(まあ、今も、実験はまだ駆け出しですが、それはさて置き、)分別心、観念が強化されてたかも。
良い気分はOK。悪い気分はNG
この分別心が強化されていたと思う。
お陰で、分別する私(=自我=思考)が強化されて、自我の存在感を増していたかもしれない。
だが、それも、気分を整える手順に慣れて来たら、結局、毎度同じパターンで気分が整うのに見慣れて来たら、面倒な手順を踏まないでも、割と簡単に良い気分に戻せるようになって来た。
自分の気分だけは他人や外の現実に明け渡してなるものか。
ただ、その一心で簡単に気分が戻せるようになって来ていた。
運転とかと同じで慣れって凄いと思う。
- 良い気分に戻る
- この時に、面倒な手順が気分を整える手順が省略可能になって来た
いつもの気分を整える手順(嫌な気分を感じる→その自分を認める→嫌と反対サイドの好きを見つける→好きの状態に浸ったイメージ→なぜ好きかを問う)が瞬時に完了する感じ。
簡単になると分別も無くなる
ここ十日以上、嫌な気分から良い気分に戻す訓練を毎日やって来て、それが当たり前のように出来て来た。
その途中過程では、嫌な気分を毛嫌いする分別心があったのに、今になると、簡単に切り替えられるようになって来たら、以前ほど嫌な気分を毛嫌いしなくなっていた。
嫌な気分も良い気分の一部であり、裏と表、光と闇。
意識的にどっち側にフォーカスするかだけの違いで、両方同時に存在する。
坐禅中の視点で言えば、意識の中に現れる思考感情と言う点では良い気分も悪い気分も同じ。
極論言えば、悪い気分も昔ほど毛嫌いしてないから、悪い気分になっても昔ほど深いところに陥らない感じ。
受け入れるってこう言う事なのかも?と良い事を知った気がする。
この「良い事を知った」と言う思考も、単なる思考である、つまり、嫌な思考と同じ思考なのを忘れない。
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