目次
思い込み、勘違い
ジム通いも一年くらいになり、周囲からも私の体型が良くなったと褒められる事が増えて来た。
セルフイメージ
スピ系とかで言うセルフイメージと言う言葉があるが、ここで書くセルフイメージは、もっと当たり前の自分が思っている、「私はこんな人」って言うセルフイメージで、どっちかと言えば外見の話しです。
他人や家族から痩せたねと言われたり、自分でも家の鏡を見た時の印象などから、
「私の体型は、だいたい普通で、少し筋肉質になっている」
「定年退職者の年齢からすればちょっとカッコイイ」
こんな感じのセルフイメージが出来上がっていた。
自分でも自宅の鏡(大きくは無い)に映る自分の姿を見ると、前よりカッコ良い来た気がしてた。
曇った目で見ていた
ここまで書いたセルフイメージが、物凄く的外れで、自分に甘い、まるで親バカレベルの勘違いだった。
ヨガスタジオの大きな鏡
それが判明したのは、ホットヨガに参加した時でした。そのホットヨガのスタジオは全体が鏡の部屋だった。
全方位、どの壁も総鏡張りで、壁一面が大きな鏡の空間でした。
私の全身が、ヨガレッスン中に、どんなポーズ中にも写し出される。
ここで自分の身体を目の当たりにしたら、自宅の鏡でチラッと見ていた印象と全く異なる、今日までのセルフイメージとは違い過ぎた。
正直言って
ヨガスタジオの鏡が歪んで太って見えるのでは無いか?と疑ったほどでした。
アバターが剥がれ落ちる
これは毎日見て来た私の身体じゃ無い!
見慣れていたはずの私とはかなり違う。
自分とは思えない、かなりひどい体型。
このデブは誰だ?
自宅にも鏡はある。その鏡に写る私を私だって見て来たはず。その私はここまでデブだとは思ってなかった。
しかし、なんだ!このヨガスタジオの鏡の中の私は、デブだ。
ヨガスタジオの鏡は、歪んでいるのか?
鏡の性能を疑うほどの衝撃。
でも、ヨガスタジオの巨大な鏡に一緒に写る他人は、私の肉眼で見たまんまのサイズ感で写っている。
その鏡の中で、私1人だけが、いつもより太って見えている。
この鏡は正常だと認めざる終えない。
繰り返しになるがホットヨガスタジオは、全方向の壁が、全面鏡で出来ている。
自分の全身が、前後左右とも、否応無しに、ヨガのレッスン中は良く見える。
すると、前屈みの時、とか、座った姿勢とか、真横からの菅田とか、更には腹筋が油断した瞬間とか、無駄な贅肉のたわみを強烈に見る事となった。
追い討ちは衝撃の事実
あの人よりデブだった
私が普段、自分よりも体型が悪いと思っていた人達よりも私は太っていた(笑)
彼らと、自分が、ヨガスタジオの一枚の大きな鏡の中で、同時に並んで映し出された時、それは客観的にはっきりした。
実は、彼らより、自分の方が、間違い無く太かった(笑)
ショックううううううううう!
これには心底驚いた!
今日までの私の目は、まさに節穴だったのか?
どうして、昨日まで、彼らより私の方が痩せていると思っていたのか?
一緒の一枚の鏡の中で見たら、私の体型の方が、彼らより、腹も、尻も、足も、明らかに太い。
それを私の方が細いと思っていたなんて、恥ずかしい、信じられない勘違い。
俺の目玉は歪んで無いのか?
鏡の次は、私の目玉の歪みを疑う。そう思うレベルの勘違いだった。
だが、同じ鏡に写る彼らは、いつもの鏡を通さない肉眼の通りに見えた。
だから私の目玉も歪んでおらず正常だ。
私はアバターを見ていた
歪んでいたのは、私の記憶、思い込み、セルフイメージの方だった。
私の体型は、だいたいこの位、まあまあ良い体型。
そう信じ込んだ状態で、鏡の中の私を見ていたから、リアルな感覚よりも思い込みのアバターを頭の中で見ていた。
鏡の中の私を客観的に見ておらず、過去の若い頃の体型のアバターが覆いかぶさっていた。頭の中の私の映像は。
これはミラーレス一眼カメラでと一眼レフの違いだと思う。
一眼レフは、光学的に素通しでリアルな対象物を見ているけど、ミラーレス一眼になると、レンズから入った光そのものでは無く、カメラのCPUが解釈した後の、改めて再生されたカメラの判断した世界を見ている。
とりあえずの問題は、床に座っている時、または直立姿勢でも油断して腹を締めてない時は、私の想像以上に腹が出ていた。
横の壁にもある鏡で、横から見た私も見えたが、腹から背中の厚みは、かなり肉厚ボディーで見られたもんじゃ無い。
それでも、姿勢を正して、腹を締めていると(ドローイング?とか言うらしい)、ギリ見られる体型だ。
身体の感覚に意識を合わせる
- 姿勢正しく背筋を伸ばして歩く。
- 座る時も姿勢を正す。
- 気づく都度、出来るだけドローイング呼吸を行う。
このように日常の中で身体に意識を向けているだけで、だいぶ見られる事が分かった。
体型とは、贅肉の厚みだけで決まるのでは無く、姿勢と腹筋の締め具合とのトータルで決まるようだ。
意識的に姿勢を正して、腹を引っ込める生活がスタート
まだまだ、長年の惰性で、姿勢が悪くなっていたり、腹がたるんでいたりする。
身体の感覚に意識を合わせる。今から意識をそらさないのは難しい。
ここで、ハッとした。
引き寄せと似ている
引き寄せの実験の生活中は、気分良く過ごす、望む現実想像の振動数でいる時間を増やす。
その為に、無意識に思考を使わず、意識的に、気分良くなる思考を選択する日常が増えていた。
これ即ち、思考に意識的で生活する事。
今日からは、それにプラスして、
体型を素敵に見せる事を目的として、身体の感覚に意識を向ける事がプラスされた。
体型が望ましい状態になるように、常に姿勢を正す。腹を引っ込めて生活する。
鏡を見て、姿勢を変える
- 鏡を見て今の現状と、私の望ましい体型を知る事が出来た。
- 今の現実に甘んじてないで、姿勢だけは正して生活する。
- 今の現実がどうであっても腹筋に力だけは入れて過ごす。
この点は、まるで引き寄せの法則と同じだった。
望まない現実(鏡)を見て、望む現実を知る
- 嫌な現実を見た結果「望む現実」を知る。
- 意識的に良い気分となる思考を選択する。
- 嫌な気分を敏感に察知して気分を正して過ごす。
- 望む現実に至った後の気分で過ごす。
この引き寄せのセオリーにそっくりだと思った。
現実は思考の共振周波数を写す鏡
ヨガスタジオの全面ガラス張りの世界は、自分の外見を知る大切な鏡の世界。
それに対して、現実世界は、多分、自分の思考を見る鏡。
ふと、そんな気がした。
鏡(現実)に写る情報は利用する
鏡を色も歪みも曇りも無しでリアルに見るには、自分の観念フィルターに気付く必要がある。
気づく為には思考から離れた視点が必要。(坐禅や瞑想の視点)
現実を見て、観念(思考)を知り、その観念が現実を作る事を知る。
外見(体型)を知るのも、観念を知るのも、鏡が役立つ。とつくづく思ったホットヨガの鏡張りの部屋だった。
意識的に自分に集中する楽しさ
他人の事より、自分の思考と身体の感覚を大切に扱う楽しさと、まだまだ、外側に意識が向きやすい難しさを痛感中。
だが、少し前までは、この両方に無意識だったのだから、難しさを痛感するだけ大進歩。
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