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今日は趣味の一つであるカメラ絡み
引き寄せに大切な「今が豊だと感じる」に使えるかも
引き寄せの法則のパラドックスは、今現在が豊で無いからこそ、引き寄せしたいのに、この今、ハッキリ言えば豊では無い今、既に豊だと感じなければダメだと言う事。
口先で何を言ったところで、今は豊では無いと言う本音が、豊では無い現実を引き寄せるジレンマ。
そのジレンマを超えるヒントがカメラのレンズにあった気がした。
素晴らしいレンズとは
素晴らしいレンズで撮る写真は、独特の素晴らしさを感じる写真になる。
同じ撮影を安いレンズと高いレンズでは感動も美しさも違う。
この意見には異論のある人は多いと思う。カメラやレンズの価格に無関係に良い写真は撮れる。とかお叱りも受けるはず。
そう言う技量のある人は別として、ど素人で撮影のセンスもテクニックも無い私の場合です。
ど素人であればこそ、良いレンズと良いカメラを使うしか無い(笑)
その素人の単調で同じ撮影であるからこそ、レンズの差が如実に現れます。
少しマニアックな話し
カメラに興味のない人の予備知識として、ズームレンズで実売20万円クラスは、ど素人の私でも、ほとんど素晴らしい感動の写真が出る。
単焦点レンズでF1.8で実売価格10万円前後のレンズは、何と20万円クラスの高級ズーム以上に美しい。F1.8でも撒餌レンズとか言われる数万円のレンズはダメ。
更に単焦点レンズで実売価格20万円クラスのF1.4クラスになると、写る絵の美しさは上記の10万円単焦点よりも更に素晴らしく、一気に次元が変わる感じ。
本題から逸れて来た気がする。
ここで言いたかったのは、同じ景色もレンズ次第で美しく見えたり、平凡に見えたりする不思議。
レンズ次第で違う
話を戻すと、同じカメラで、同じ画角(焦点距離)で撮影しても、高いレンズと安いレンズではレンズを通して見える世界が全く違う。
無色透明なガラス製レンズである事では違い無い。
それなのに、安いレンズで撮影した世界は平面で、高いレンズの世界は立体感がある。ほどに違う。
絞り値の違いでは無く、絞りを合わせても違う写真になる。
高いレンズでも安いレンズでも、確かに本物そっくりには写るが、感動する美しさがあるのは、最高峰クラスのレンズの場合だけ。
高級オーディオと安物オーディオでスペックが似てても明らかに違うのと似ていると思う。数字では出ない違い。
撒き餌レンズと言われる、安価な単焦点レンズもスペック的な性能は悪く無いはずだが、以上のような違いを感じてしまった。
撒き餌レンズ信奉者の方が見たら、頭に来るかもしれない。
そこは趣味の違い、感性の違い、好みの違いと言う事で許して欲しい。
何より私はど素人でレンズの特性に合わせた撮影は出来ないから単純に良いレンズの力に頼るだけ。
私の場合は上記のような感想ですと言うだけで、誰の目にもそれが正しいとまでは言ってないので。
レンズ=『思考』
選択するレンズ次第で見える景色に感動する?感動しない?くらいに全く違ってくる。
これは、目の前の現実が同じでも、思考の選択次第で気分良くもなるし、気分悪くもなる事と似ている。
レンズの選択で写る世界は変わるし、思考の選択で現実世界も変わる。はず。
現時点での私は、引き寄せの法則が成功して金持ちになったわけでは無い。目立つ変化は無い。
しかし、カメラのレンズによる見え方の違い経験から、きっと思考の選択次第では現実は変わると思った。
パラドックスを超える?
長々と書いたけれど、今が不足しているから、何かを引き寄せたい。と本心では不足感MAXでの引き寄せたい!は、真逆の結果を招くパラドックスに陥るらしい。
けれど、心のレンズ(思考)を意図的に選んだら、今の現実すらも変わって見える事は、これまで十分に場数、経験を積み重ねてきた。
それを利用すれば無理やりに今も足りてます!
と無理な事を言わないでも、レンズ(思考)を意図的に選ぶだけで、現実に足りてる感覚になった上で行けそうな気がする。
これなら引き寄せたい時は本心は足りて無い的なジレンマにはならない気がする。
坐禅瞑想は大切
思考の選択をする為には、思考から離れないと無理なので、その点から引き寄せの法則では、良い気分となる思考の選択がキーだから、引き寄せの法則には坐禅、瞑想が大切なツールになりそう。
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