妻との散歩出来たら何も要らない

散歩出来ないと分かる

日々の痛風の具合が一進一退の中で、出来ない日が辛い。

直ったと思ったとに再び歩けなくなる日が辛い。

私は妻と毎日の散歩が出来るなら他には要らない。そう思うようになった。

その位、当たり前の健康が、単なる散歩。

そんな妻との時間が愛おしい。

失って初めて知る。正にこの事だと思う。

昨日までの私は馬鹿

昨日までの私はコロ助不況の不安。お金の不安、この先に多くの倒産が出たら連鎖的に広がる大恐慌が怖かった。

でも、そんなのは散歩さえ出来るならどうでも良いオマケ程度になった。

吉野家の牛丼で言えば紅ショウガと七味唐辛子程度だ。

今日の私は、犬になりたい。

犬のように純粋に毎日を楽しみたい。お金の不安も健康の不安も持たずに、犬のように今この瞬間に生きたい。

なら、今からそうしよう。

頭の中に浮かぶ不安は不安として、今に目を向けて生きよう。

サルの一言

本稿は、筆者による個人的な見解であり、専門的な知見に基づくものではありません。

記載内容には、事実誤認や情報源の誤り等がある可能性もございます。

また、商品購入リンクは、原則として筆者が実際に購入した商品のリンクですが、記事執筆時点での検索結果に基づくリンクや、リンクミスも考えられます。

商品購入・使用につきましては、自己責任にてご確認くださいますようお願い申し上げます。

サル船長とウサウサ航海士
サル船長とウサウサ航海士