目的地は「生きる」
自我の欲求リスト
- 幸せになりたい
- お金持ちになりたい
- 痛く無い身体が欲しい
- 不労所得が欲しい
- 一生食べて遊べる資産が欲しい
- 子供達、孫達を死んだ後もサポートできる資産が欲しい
- 自分が死ぬまで絶対に困らない資産が欲しい
- 尊敬される人になりたい
- 安心して暮らせる場所が欲しい
- 丈夫な健康な身体でありたい
- 妻に長生きして欲しい
- 家が壊れないで欲しい
- 美味しいものを食べたい
欲求リストを見ると、結論は心が安心を感じたい。心が幸せを感じたい。ただ、それだけだった。
それは、極論言ったら、「生きたい」だけ。 生きたいから、生きる事に安心したい。生きる事に安心すると幸せを感じる。
生きる事が究極目標なら、既に叶っていた
金持ちになりたいのは、死にたく無いから。→今、私は生きている。
今、生きている時点で、目的地に既にいた。それなのに、明日も一年後も将来生きている保証が欲しく、生きいている今日を苦しんで、不安になって、本末転倒ばかりしていた。
明日も生きていたいから今日は頑張って過ごす。
その願いは当然だけど、それが今日だけ限定なら良いのだけれど、明日になったら、その新しい今日も同じ気持ちで犠牲にすると思う。
その連鎖を断ち切るには、今日を変えないと。
願いが叶っている今日を嬉いと喜んで過ごそう。
願いが叶っている今日を堪能しよう。
願いがせっかく叶っている今を感じよう。
生きている事って、今、五感で感じて、世界を私(心?思考?)に映して認識している時点で、既に叶っている願いだったのかもしれない。
昔、誰かが言っていた話をテレビで聞いた記憶だけど、明石家さんまさんの言葉で「生きているだけで丸儲け」って聞いた事があった。
さんまさんは、成功者だから全てを持ったから「死にたく無い」、それだけが残された願いになったんだろう。
と、斜に構えて聞いた記憶がある。
そうじゃ無く、彼は本気でそう思って、そう感じられて生きているだけで丸儲けの気分で安心して今日を生きていたのかもしれない。とか思ったり。
