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幸せになりたいと正しい事ばかり選択して苦しいよりも、最初から幸せだったことを思い出す。
私の人生の大半は正しさ基準だった
私は、子供の頃から真面目で正しく生きて来た。
小学校では受験勉強してたし(当時は小学校でお受験するのは学校に1人居るか?)
中学、高校時代は、常に優等生として成績は上位。
おまけに風紀委員会とか学級委員関係に常になってクソ真面目。
人が見てようと見てまいと、正しい行動しないと気が済まない。
馬鹿正直、正直者が馬鹿を見る、その人生を歩んできたと思う。
親や学校教育をそのまま全部取り入れた
そもそも、私の持っている正しさ基準(頭の中の物差し)は、親、学校から教え込まれた事。
それを忠実に守って生きてきた。
取り入れる時点では、それが普遍的に正しいと信じていたけど、誰かに都合が良いだけだった気がする。
なぜ、ここまで正しき人間として、生きてきたのか?
その理由は、明らかで、幸せになる為だと思う。
人に嫌われない為、正しく生きる。
結局は、自分の保身の為に、正しく生きてきた。
私が嫌われず、楽しく生きるには、正しく生きないとダメだと思っていた。
自我はマインドは、自分を守ってくれていたのだと思う。
けど、本末転倒で、幸せを先に探して、今ある幸せに気付けなくなっていた。
究極は生きる為に正しい選択を優先していた
ただ生きるのでは無く、幸せになりたいから、正しく生きてきた。
幸せになる為に、正しいと思う事を選択して来た。
- 他人から後指を刺されないよう。
- 人の期待を裏切って嫌われないよう。
- 警察に捕まらないよう。
- お金が減らないよう。
- 仕事が減らないよう。
何でも正しさを優先して生きてきた。
その理由は、自分の幸せの為。
それが原因で今の自分を不幸せにするパラドックス
人目を気にして、後指を刺されまいと行動するのは、自分が不幸せになりたく無いから。
人目を気にしているようで、自分の幸せを目指している。
本末転倒、逆効果だった
幸せになる為に、正しい事を選択して、その代わり、今の自分に我慢させている。
正しい選択を毎日して、毎日の自分を窮屈な気持ちにさせている。
そもそも、この苦しい他人基準の正しい生活は、いつか終わりは来るの?
幸せな毎日は、いつから来るのか?
それまでは、自分に我慢させて、不幸せな気持ちにさせている。
永遠に来ない明日の為に今日を我慢する。
そんな我慢な他人基準の毎日を繰り返している間に、人生のタイムリミットは減ってゆく。
幸せになる為に頑張っている間に、窮屈な人生が終わってしまいそう。
幸せの為に正しく生きる。ではなくて、今すぐ楽しいことを選択したい。
何か特別な買い物とか、旅行とかしても良いけど、そんな大きな事は何もしなくても、身の回りには、幸せを感じる事が溢れている事を忘れてた。
今すぐ幸せになるには、身の回りに今あふれている幸せを感じるだけで、気づくだけで十分だと思った。
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