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子供の頃、頭に入った私のルール
小学校の教師から言われた気がする。
これは、どんな話だったかというと、
どんなに相手が悪い場合でも
真剣に探せば、お前にも必ず落ち度があるはず。
そこを自分から先に謝るのが正しい人だ。
小学校の時に友達同士の喧嘩や揉めてしまうことがある。
その場合、相手が悪いと責める前に、自分に微塵も悪い所がなかったのか?そこを探して、自分から謝るのが人として正しい。と言う教えだった。
例えば、こんな場面
私が新しい筆箱を持ってきた日
クラスメイトが意地悪して私の筆箱を隠して、それが原因で喧嘩になったとする。
私は明らかに被害者だけど、新しい筆箱を自慢するように受け取れる言動がその前にあったなら、それが元々悪かったと謝るべきだとの教えだった。
自分に全く落ち度はないのか?と言う視点で探せば何でも落ち度になる。
自分にも落ち度が多少なりとも無いのか?と常に自分を見張って、探す努力の対象は、子供時代の喧嘩だけに限らない。
会社でトラブルがあった時
会社の職場で自分が参加しているプロジェクトで何かトラブルと仮定する。
ミスしたのがXX君と言う同期社員だったとする。
「私も同じプロジェクトにいながら、XX君のミスに事前に気づけなかった事が悪かった」
と率先して自分の非を探し認め謝罪する態度を取る。
交通事故でも
生まれて初めて交通事故に遭った時も、そうだった。
自分が過失0で相手が100%悪い(交通ルールとして)事故だったら、この精神で謝ってくれると疑わなかった。
だから、自分だって0%の過失と言えども、もう少し早く察知して停車出来ていたら、彼女が信号無視しても衝突は回避されていたかも知れないとか思う世間知らずだった。
事故翌日、「お前が赤信号を無視してぶつけて来た!」と大嘘から加害者にされて苦労した。
当時はドラレコも無く大変だった。
世の中、先に謝る人は居なかった
これまでの人生で、「非が少しでもあったら先に謝る」精神で良かった経験なんてない。
つまり、現実社会では、「私が悪い」と率先して謝罪する人などおらず「相手が悪い」と他人を責める人の方が多かった。
私が叩き込まれた教育「相手を責める前に、少しでも自分の非を探して先に謝る」と言うルールは、現実社会のどこにも役立ってなかった。
なんなら、
サルくんは正直で誠実で信用できる。
と言われる事は無く
馬鹿正直で世間知らずだから一緒にいたら危うい。
と見られるのだ。
それでもクセが抜けない
教師の教えは逆効果だと知った今も、私は昔からの癖が抜けずにいる。
何かあれば、瞬時に自分の落ち度を探して、クヨクヨ自責めする。
鋭い相手はそこに察知して責めてくる。
自分責めは、単に思考の癖
悪い癖なのだと気付いて辞めたい。
自分責めのクセは終わりにしたい。
むしろ、これからは自分だけは自分の味方でありたい。
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