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私は何者かになろうとして生きて来た
私は精進しなければ今はダメ人間で、目指す目標になる人がいたような気がする。
割と間近な時期だと憧れの人物は、大金持ちで、本も沢山出している本田晃一さん。
私より遥かにお若いけど、知識、経験、能力、トーク、私が叶う要素は一つもありません。
彼に憧れると、差を痛感するので、ますます今のままじゃダメだと先を目指しております。
コウちゃんに憧れた今なら、今の自分の経済力ではダメだと思うし、彼のような明るく会話するセンスもないし、彼みたいに心屋さんとか凄い人脈もないし。
でも、コウちゃんを知る前は、他の人を目指していた。
でも、本田晃一さんとか、心屋さんとか具体的に憧れの人をイメージしてない時でも、
私は常に誰かになろうとしている。
常に誰かを演じている気がしてならない。
誰を演じているのか?
私は朝起きたら直ぐに私を演じている。
もう60年近く演じ続けて慣れ親しんだ私と言う役割。
私=人、男性、常識人、真面目、堅物、父親、祖父、夫、経営者、気が弱い、むっつりスケベ、いラッチ、大卒、その他いろいろ。
でも、これって、親、教師、友人などから言われた事。
自分の気持ちはどこにある
長年演じてきた私。その私を演じている時は、私は常に真面目な人として行動している。
心のままではなく、自分の演じる役割に相応しい、私として正しい行動をしている。
シバ犬の行動は
その点、シバ犬さんの行動は違う。
正しいか間違いか?そんな余計な価値観は持ってない。
かじりたいと思ったらソファーをかじる。
走りたい時に走る、寝たい時に寝る。
自分がシバ犬としてらしいどうか?
おそらく気にしてもいない。
シバ犬は、シバ犬を演じてはおらず、もろシバ犬だけが存在する。
私が、本当に1番憧れるのはシバ犬
自分のアイコンに使うほど、私は「シバ犬になりたい」と本気で思っている。
容姿がシバ犬ではなく、シバ犬の生き様、その今を素直に楽しんでいる姿が羨ましいのだ。
シバ犬の魅力は何?
シバは、生き生きとシバ犬を生きている。
猫になろうとしてないし、
人になろうとしてないし、
シバ犬として100%生きている。
私も役割ではない私自身を生きようかな
シバ犬は、今、シバ犬が人気だからとシバを演じている訳ではない。
シバ犬プログラムが余計な邪魔する物が一切ない状態で、犬ボディーの中で動いている。
それに比べて私は、私の好き勝手な気分で動けてない。
余計な邪魔する思考が沢山ある。
行動する前に気にするのは、世間の常識(お金になること、人に褒められること、親に褒められること、常識的だと思うこと)。
本当の気持ちでは選んでない。
そこがシバ犬を見ていて共感する、憧れる理由だろう。
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