幸せに囲まれてるのに、その事が見えなくなる理由
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ウサウサ(妻)
ウサウサ(妻)アラシー?約60才。
自分を可愛いウサギかクアッカワラビーだと思っている。
前者(心屋仁之助さんが定義した前者後者の前者)で、社会人として有能な人。
でも勉強が嫌いだから四文字熟語をほとんど知らないし、脳味噌は子供に近いよ。
- 不要な価値判断の観念が無いまま大人になった人。
- 曇りの無い目(心)で、ありのままを見ている人。
そんな印象なのがウサウサ。
サル(筆者)
サル(筆者)は60代男性です。
なぜサルなのか?それはサルに似ているとウサウサが言い始めたのがきっかけ。
最近まで自分が有能な人類だと思って生きて来たので相当嫌なヤツでした。
典型的な後者なのに、前者だと思って最近まで生きて来た為、大迷惑な存在だったかも知れない。
ウサウサが大好き過ぎてキモいと言われる事をする。
シマキチ(ネコ)
一年位前に我が家に来た元は保護ネコちゃん。
キジトラのメス猫。
性格は、まるで人間が入っているかと思うほど頭が良い一面もあるし、シバ犬のような馬鹿っぽい可愛さもある。
そんなシマキチは、今ではサルとウサウサの娘になった。
娘が元々二人いたけれど、二人とも嫁いだので今では三女のにゃもだけが同居する娘だ。
目次
何度も気付き何度も忘れる謎
50年間も幸せを探して来た原因がこれだったのかも知れない!
幸せを数えたら、数え切れないほど、エンドレスなほど、感謝に溢れている。
それは毎回思う。
それなのに、いつの間にか感謝を忘れて、幸せを忘れ、不安や不満にばかり目を向ける。
そんな日常癖が抜けてない。
なんでだろう?なんで繰り返すのか?
どうして私は、幸せ、感謝が見えなくなるの?
幸せも、感謝も、沢山周りに溢れているのに、それが意識してないと普段は目に見えない状態に戻る。
その反対に、腹立たしい事は目立つし、何の苦労も無く頭の中で覚えている。
幸せも、感謝も意識を向けてやっと思い出す。この違いはなんだ!
考察:幸せは見え難く、不幸なら常に見える
私自身が幸せそのもの、感謝そのものだからかも知れない。
そう考える根拠1
- 目玉は目玉自身を直接見る事は出来ない。
- ベロもベロ自身を直接味わう事が出来ない。
- その原理から、私が幸せそのものなら、幸せを外側に見る事は出来ない。はずだから。
そう考える根拠2
- 幸せは感じる事が出来る。
- 既に幸せだったと思い出す事も出来る。
- 幸せが既にあったと気付く事も出来る。
- 自分が幸せの一部、または幸せの一部が自分だからかも知れない。
感じられるのは今、肉体を通じてだけ
不満とか不幸せは、頭の判断で湧き上がる事。
幸せや感謝は頭では無く、心で感じるもの。
頭より、肉体全体でジーンと感じるもの。
この感じから考察しても、
不幸せとは
自分の外側に見えるものを頭で思考で認識するけれど。
幸せ、感謝とは
自分の内側、肉体の感覚で感じるもの。
と言う事なのじゃないか?そう素人考察でした。
不幸せは、外側だから見えやすく、幸せは内側、自分自身だから見えないから感じたり、あったと気付く必要がある。
ついでに、思考優先で考えてばかりいると、未来や過去に飛んでいるので、今しか出来ない感じること、幸せに気付くことが難しくなってしまうのかなと思考人間の私は思いました。
サル(筆者)は、引き寄せの法則も健康食品も素人で1ユーザーに過ぎません。
ここに書いた事は自分では良いと思うけど、間違えてたり、誤報を信じてたりする可能性もあります。
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