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最近、正しさを語る人が嫌いになった
正しさばっかり語る父が鬱陶しい。
話をしたく無いから避けるようになっている私。
家庭内で住み心地が悪いし、疲れる。
定年して家にずっといる父は、24時間テレビの電源を切ることがない。
夜中にホワイトノイズになっていてもつきっぱなしだったりするらしい。
テレビのニュースやワイドショーは、どのチャンネルを見ても、同じ内容を同じ口調で語っているので、記憶力が落ちている高齢な父親も簡単に暗記して、コメンテーターが偉そうに語る内容を、いかにも父自身の考えた正しい意見のように語ることが多い。
その父のTV受け売りの正しさで裁く矛先が、どこかの企業や官僚や芸能人に向いている間は良いけれど、父の攻撃が私に向いてくるといやになる。
こうあるべし!
そんな時の父は、
こうあるべき!
これが正しい!
こればっかり言う人になります。
父が何を正しいと信じても構わないけど、その正しさは、私には正しくない事もある。
押しつけられると頭に来る事がある。
父さんよ、あなたは偉そうに語るけど、
それってワイドショーのコメンテーターの受け売りでしょ?
正しい
こうあるべき
とか言う人は、その大半が人の意見の受け売りで、自分の頭で考えてないと思う。
まるで同じプログラム(同じデーター)がインストールされたコンピューターみたいに同じ答えを出す。
それって洗脳と変わらないよね?
正しさしか語らない人は嫌いだ
コンピューターはインストールされたプログラムのままに判断するから融通が効かない。
、そして、父のようにインストールされた正しさだけ語る人は、コンピュータと同じで話し合いの余地なんて全くないから。
一番嫌いなのは、洗脳状態の正しい人って、心の通った会話ができないこと。
話し合って理解し合うなんて出来ない感じなんだもの。
俺も同じ穴のムジナだった
私も子供時代から最近まで正しさだけで判断して生きてきた。
若い頃は父が尊敬の的だったし、ワイドショーでコメントする権威のある人の意見も大好きというか鵜呑みだった。
父から言われた事に逆らう事もなかったかも知れない。
それは目上を敬う教育の賜物(皮肉)でもあるが、心底鵜呑みに正しいと生きてきた。
最近は妻のお陰で私も目が覚めてきた。
自分の頭で考えるし、自分の心があるから好き嫌いも見分けが付いてきた。
好き嫌いで書いたかな?
だから、この日記も正しさで書いたのではなく、好き嫌いで書いたんだと思う。
昔の自分だったら、
と正しさ基準に書いた日記になったはず。
今日は多分、軸足は好き嫌いだったんだと思う(思いたい)。
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