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暇な時の私にありがちな精神
商売が暇な時、遊んでいると脳裏に不安と罪悪感が張り付いて心から遊べない私がいる。
商売が忙しいと心は安心はするが
忙しい時は、仕事があって(お金が入る)けど、自由な時間、暇が無くなる。
忙しい時は、今やっている仕事が無事に完了するまで気が抜けないので、終わった後の暇を目指す。
忙しい時は、無事に完了して暇になった姿を目指す。
暇な時は、仕事がたくさん入っている多忙を夢見る
私の場合は、仕事が忙しくても、仕事が暇でも、どっちにしても楽しめず心が反対側を求めていた。
私の理想は
忙しさと暇に決まったリズムがあって先が読めること。
例えば
今日は仕事をして、明日は遊ぶ。明後日は仕事でその次は遊ぶ。
そういうリズムが安定していることが理想だと思う。
こんな商売のリズムなら暇な日に安心して遊べるんだが。
先に仕事(お金)して、その後 暇なら、ちゃんと働いたのだから安心して罪悪感もなく遊べると思う。
しかし、そんな都合よく回らないのが商売(または小規模ビジネス)である。
大企業のサラリーマンならウィークデーは仕事に明け暮れて週末にまとめて遊ぶ。日中は仕事して、夜は街へ繰り出して発散するなど、仕事を先に、遊びを後からのリズムが可能かも知れないが、商売、小規模ビジネスは、周囲の経済の波間に漂う小舟だから、計画的なリズムで働き遊ぶのは難しい。流れに任せるしか無いのが実態だ。
この歳になっての気付き
働いた後じゃないと何するのも罪悪感
休んだり遊んだり罪悪感だったが、巡り巡って繰り返す変化の中で、どっちが先ってことを気にする罪悪感は不要かも知れない。働かざる者食うべからずの掟は卒業したつもりだったのに今も残っていたようだった。
仕事(お金) → 暇(遊び) → 仕事 → 暇 → 仕事 → 暇
この永遠の繰り返しは、長い目で見たら、どこを区切っても同じ事だと思った。
先に遊んで、後で仕事でも、仕事が先で後で遊んでも、常に波があるから同じこと。
この小規模ビジネスとしての商売の波、綺麗な正弦波にはならない。
正弦波っていうのは、下の波形のように綺麗な波の状態です。
私の手書きにて正弦波というには不正確なのはご了承ください。
でも、もし、安定して上下運動するだけの商売の浮き沈みであれば、先も見えるし、落ちても上がると分かっているので安心です。
落ち込みの期間も先が決まっているならそこまでは安心して遊べる期間です。
商売の浮き沈みが正弦波だったら安心して暇を受け入れて楽しめるのですが。。。
小規模ビジネスの浮き沈み波形は予測不可能
小規模なビジネス、小さな会社とか個人事業だと、売上は乱高下するし、下がったらいつ回復に転じるか期間も未定なので、
この図のように、高さも幅も周期もバランバランなのです。
それでも、長い目で見たら、どんな商売も大規模なビジネスでも浮いたら沈むし、波があって変化があって当たり前なので、私の商売の場合でも何十年も経営して来た中には、波形がバラバラでありながらも、まあ、正弦波と同じように繰り返しがあったのです。
ここを観ていると、仕事、遊び、仕事、遊び、順番なんて無意味だった。
仕事を先にしないとダメなんて言ってないで、先に暇を楽しんでも良い。
この波に合わせて、すべき事は、ただ一つ。
暇な時は好きな事を楽しむ。
仕事の時は仕事をする。
どっちを先か?なんて、時間軸のどこを切っても同じ事になるんだから、罪悪感を感じながら遊んだは勿体無い。
暇な時には心置き無く遊んで良い。
暇な時しか遊べない。
忙しい時にしか働けない。
暇なら遊べ
忙しいなら働け
流れに任せる、それしか出来ない。
仕事が来ないのに、仕事は出来ない。
暇が無いのに、遊ぶこともできない。
全てはやってくるご縁に合わせて行動するのみ。
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