目次
引き寄せの法則を知った頃
私は意外と感謝する気持ちが沢山あったような気がする。
例としてお米を買う時食べる時
- このお米を買うお金があってありがたい
- このお米を売ってくれてありがとう
- このお店まで運んでくれた運送屋さんありがとう
- お米を丹精込めて無農薬で作ってくれた農家さんありがとう
- お米屋さんが営業できる電気が来ていてありがとう
- 電信柱を立てたりメンテする皆さんありがとう
- 電気を作る発電所の皆さんありがとう
- 石油を運ぶタンカーありがとう
- 原油を組み上げる国の皆さんありがとう
- お米を炊ける炊飯器を買えて良かった
- 美味しく炊いてくれて妻よありがとう
お米に限っても、これだけ手前から感謝が連鎖していると思って、日々の中で感謝が沢山あった。
特に、引き寄せをスタートした当初は、まだ高い食材を選びようになったばかりで、素晴らしい食材を買えることに一々感動と感謝だった。
デパ地下で昔なら手出ししなかった素晴らしい肉、魚、野菜、調味料など買うようになったばかりの当時は、買い物にゆく時は、レジで決済しながらもレジ係さんにもありがとうと言いたいほどだった。
高級食材に慣れた頃には
デパ地下に行く事は、既に当たり前。
値段を気にせずに美味そうな肉、野菜を買う行為すらも当たり前になっていた。
高い食材を買うお金があることも当たり前になっていた。
妻の手料理には感謝はあったが、美味しくて当たり前になりかけていたと思う。
健康の感謝も忘れそうだ
ここ数年間、しばしば健康問題が出て来ていた。私にも妻にも健康問題が出ていた。
しかし、ここ一年は、その中では割と安定していたので、健康な状態、痛くない状態、普通の生活に支障がない状態が当たり前になりつつあった。
大変だった時期は、痛みなく眠れるだけでも感謝だった。
呼吸が苦しくないだけでも感謝だった。
歩けることは感謝だった。
早めに歩ける事は目標だった。
手が動くだけでも感動だった。
当たり前に、痛みと苦しみの無い睡眠が取れるだけで感謝だった。
この当たり前、それがどれだけ素晴らしい身体の各部分の健全の積み重ねで出来上がる奇跡的な状態なのか、よく知っているはずだった。
それが痛み苦しみがないのが普通に毎日味わっていると、感謝することもなく、当たり前として見逃していた。
少しでも不調があると、不機嫌になり始めるほどだった。
妻への感謝も減っていた
私は妻への感謝も減っていたと思う。
妻が元気でいてくれてありがとう。
妻が私のために料理してくれてありがとう。
仕事(夫婦で会社経営)を助けてくれてありがとう。
私と一緒にいてくれてありがとう。
妻には24時間、あらゆるシーンで感謝が溢れているはずなのに、当たり前になって空気のようになって、妻がちょっとミスしたり、気が利かないことでイラッとしてしまっていた。
コメント