仕事で自信満々コロちゃん前
波があって当然だった
20年以上、長い目で見たら安定していた私の仕事だった。
勿論、小さな会社だから完全なる安定経営ではない。
大海原日本社会に小さな小舟(会社)で漕ぎ出したのだから、太平洋の大波に翻弄されて売上が上がったり下がったりしていた。
長年商売やって来たら、上下して当たり前だと精神的に鍛え上げられて不安定なんて平気になっていた。
上がったら下がる、その自然な波の範囲内にあったので、経営でも精神面のタフさでもタフさでも自信につながった。
不況あれば好景気もある。
もう売上の乱高下は怖くない。
商売人としての自信満々だった。
売上と共に消えた物
1、自信が消えた
コロちゃん不況が直撃したから商売不調も仕方がないんだ
と言う言い訳はある。
でも、結果が全てである。
私(=私の会社)は世の中から必要とされてないのかと自信喪失した。
仕事の自信は仕事と共に消えた
2、安心が消えた
商売は色々あっても不況が半年以上も継続することは過去なかった。
それだけ私の仕事は社会で必要となれる内容で、私の顧客とのつながりも盤石だし、幸運でもあるって安心していた。
老後まで出来る仕事ではない?と思う一方では何とかなる根拠のない自信と安心感があった。
ところが、老後を待たずして蒸発した仕事、日本社会から顧客だった企業が全部消えたかのような静かな受注状態になった。
仕事で得た安心が仕事と共に消えた
3、承認欲求が満たされなくなった
20年以上、会社として存続した時点で他人や身内からある程度は認めてもらえるようになっていた。
最初は会社を登記した時点で同業者や顧客から凄いねと言われて良い気分だった。個人事業主が圧倒的な業界だったので。
登記して10年を超えた時、税理士さんからも知人や身内からも、これでもう大丈夫だね。信頼の証だねと言われて気分が良くなった。
登記して20年を楽々超えてコロちゃん前までは、小さい会社だが、逆にそれで安定経営していたのでもう誰にも恥じない気持ちになっていた。
仕事で得た承認は仕事と共に消えた
本当に欲しかったものは安心
自分で書いて
究極的には安心が欲しいんだなと思った。
安心
商売繁盛でお金が入って来ていたら、お金によって安心が得られた。
承認欲求
他人や家族からの承認(特に父親からの承認)は、自分が社会で商売人として必要とされて、プライベートでは住み心地のよい居場所(実家)を確保して安心したのだろう。
自信
稼げる自信で安心したのだろう。
またまた本末転倒だったか
だったら自問自答してみた
Q:商売繁盛していた時期はどうだったのか?
A:商売繁盛して忙しいなら、忙しいなりの不安材料が生まれていた。
Q:他人や父から承認されているときはどうだったのか?
A:折角の期待と承認を失う恐怖があった。
Q:たくさん稼げていたら沢山の自信があったか?
A:沢山稼いでお金での自信が大きくなる都度、失う不安も大きくなった。
いわゆるスピ系の言う通りで、外側に求めても青い鳥はこっちにいるって話なのかと。
仕事で成功しても、他人に承認されても、お金が得られても、自分自身が安心してないと意味がない。
安心は外側から得るのではない。
そう言うことか。
商売繁盛や他人の承認はダミーか
本当は安心したい。
安心したいならお金が沢山あっても、健康不安も出てくるし、今の現状でも、商売回復しても、どんな環境でもお構いなしに安心する以外に道は無さそうだ。
日本社会では生存するにはお金が必要だから、どう考えても商売繁盛は生存の為にも外せないんだけど、
商売繁盛、社会的な承認、他人からの承認、お金の蓄え、全部が自分の外側に鎧を付けて何とかしようとしているのは違ったようだ。
安心感は心の問題だった
私が本当に欲しいのは安心だとすれば、今この瞬間に安心、ホッとするが先なのかも知れないと思った。
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