今の当たり前が後になったら幸せだったと知るんだな。
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ウサウサ(妻)
ウサウサ(妻)アラシー?約60才。
自分を可愛いウサギかクアッカワラビーだと思っている。
前者(心屋仁之助さんが定義した前者後者の前者)で、社会人として有能な人。
でも勉強が嫌いだから四文字熟語をほとんど知らないし、脳味噌は子供に近いよ。
- 不要な価値判断の観念が無いまま大人になった人。
- 曇りの無い目(心)で、ありのままを見ている人。
そんな印象なのがウサウサ。
サル(筆者)
サル(筆者)は60代男性です。
なぜサルなのか?それはサルに似ているとウサウサが言い始めたのがきっかけ。
最近まで自分が有能な人類だと思って生きて来たので相当嫌なヤツでした。
典型的な後者なのに、前者だと思って最近まで生きて来た為、大迷惑な存在だったかも知れない。
ウサウサが大好き過ぎてキモいと言われる事をする。
シマキチ(ネコ)
一年位前に我が家に来た元は保護ネコちゃん。
キジトラのメス猫。
性格は、まるで人間が入っているかと思うほど頭が良い一面もあるし、シバ犬のような馬鹿っぽい可愛さもある。
そんなシマキチは、今ではサルとウサウサの娘になった。
娘が元々二人いたけれど、二人とも嫁いだので今では三女のにゃもだけが同居する娘だ。
目次
若い頃は当たり前→今思えば幸せだった
当たり前すぎる事が、後になって幸せな状態だったと痛感した
- ワインボトル何本も美味しく飲めた → グラスワイン数杯で限界
- 日本酒一升瓶が美味しく飲めた → 一合で十分でそれ超えたら明日が辛い
- 食い放題、飲み放題で元が取れるだけ美味しく食べた → 絶対に無理
- 毎朝、快便で当たり前 → 数日便秘なんて当たり前
- 髪の毛が沢山あって当たり前 → 髪の毛が薄くてハゲの不安
- 筋肉モリモリ → 多少の筋トレでは減る一方
- 片足でケンケンで50m位平気 → 片足けんけんは一歩も無理
- 重い荷物を無理しても平気 → 腕や腰を痛めて数ヶ月後悔する
- 階段は上りより下りが楽だった → 上りも辛いが、下りは膝に負担がある
- 腹八分なんて無視 → 腹八分を超えたら胃もたれする
今まだある幸せを堪能する
自分より10歳、20歳以上も上の人を見て知る事が出来る、私が今ある幸せを大切にする。
- 車の運転が出来るから好きな時に好きな場所に行ける。→ 運転できない高齢者から見たら路線バスは時間も経由地も不便で使い物にならない。タクシーも捕まらない。
- 夫婦で生きている。→ 高齢者はパートナーと死別している人が多い。
- 夫婦喧嘩する元気がある → パートナーが死の病だったら喧嘩する気にもならないらしい。
- 夫婦で病院通いの日々ではない → 両親は毎日のように通院で1日が終わる。
- 元気に歩いて行ける。→ 私は今でも足腰が弱いと思っているが、より高齢な人から見たら元気で屈強な肉体に見えるそうだ。
- 仕事(すべき事)がある → 年金生活になると、日々のすべき事がある方が羨ましいらしい。
- 耳が聞こえる → 両親は耳が遠くて不便している
- 目が見える → 両親は様々な目の病気で大変そうだ。
- 記憶力がある → 両親は日常的に物忘れが多くて大変そうだ。
- 理解力がある → シンプルな短い話しじゃないと理解不能だ。
自分の未来に後悔しないように
私が既に失った当たり前が沢山ある。
それらが今思えば幸せだったと知るが、当時は当たり前過ぎて、何も思わず目にも止まらずだった。
失って初めて知った幸せを知った。
幸せは失って初めて知るんだ。この失って初めて分かる「経験」が今の私にはある。
この経験があるからこそ、両親や高齢者を見て、会話して、今ならまだ失ってない今の当たり前。それを幸せだと感じて生きられる。
今、肉体が出来ることを、当たり前と思わずに、感動して、喜んで体験したい。
うわ、妻と二人の時間が幸せだ
うわ、朝日が今日も見える
うわ、階段を元気に下りられる。
うわ、空気が吸える。
うわ、Macを使える。
うわ、車でお出かけしている。
うわ、ブラインドタッチでブログ書いている。
サル(筆者)は、引き寄せの法則も健康食品も素人で1ユーザーに過ぎません。
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