年齢を重ねて出来ない事が増えた話

年齢を重ねて出来ない事が増えたけど、今の方が幸せな気がする。

年を実感する以前の私

40代までは、加齢を意識する事もなかった。

それまでは年齢を重ねることで、得るものばかりで失うものはなかった。
厳密に言えば体力は徐々に落ちていたのだと思うけど、スポーツ選手でもない自分には普段の生活で体力が落ちたと自覚する場面はなく若い頃とあまり変わってないと思っていた。

それに対して、仕事や人間関係は知識経験が豊富になることで若い頃よりできる事が増えた。
ビジネスも右肩上がりで徐々に強気になって来たのが40代までの私のだった。

要は40代まではイケイケドンドンの人生だった。

若い時は「当たり前」が沢山あった

40代まで毎日健康なのは当たり前。
体に痛みがある場所なんて基本的にないのが当たり前だった。

体に対して無意識で生活するのが当たり前だった。

たまに徹夜しても平気で当たり前だったし、翌日に良く寝たら、そのあとは疲労を引きずる事もなかった。

軽く走ったり、水溜り等を軽く飛び越す程度のジャンプ動作は当たり前に出来ていた。

たまには多少の無理な行動をしても、翌日の筋肉痛程度で問題無かった。
なんならむしろ鍛錬になるので良い事だった。

ヨガを習ったり、空手を習ったり、体に関してはできる事が増えても減ることは無いというのが40代までの体だった。

加齢により出来ない事が増えた

走れない(走ったら関節を痛める)

ジャンプ出来ない(どこを痛めても不思議はないので怖くて飛べない)

無理すると関節を痛めてしまう(ヨガでも仕事でも下手に動くと体を痛め後が大変だ)

疲れ易く疲れが長引く(徹夜したら三日は疲れが取れない)

完全に健康な日常は無くなる(常にどこか痛みがあって普通)

加齢で得た事もある

当たり前で無かった事を痛感する年代

若いときの「当たり前」は、「ありがたい事」になった。

出来ない事が増えたのは寂しいけれど、今でも出来ている事に身体に対しての感謝ができるようになった。

整体に通ったりして、最近は腕が肩より上に上がらなかったのが上がるようになったりして、人生をもう一度いただいたような気がして感謝が溢れる。

出来ない数だけ感謝が増える

走れなくなったけど、歩ける足に十分に感謝が湧いてくる。

目の調子も悪くなったけど、見えるだけで生活に使えるだけで感謝が湧いてくる。

お酒も少量しか飲めなくなったけど、ウサウサと2人で軽く晩酌できる身体に感謝している。

何度か死にかけ、そして最愛のウサウサの健康問題も繰り返した来たので、健康状態に自信を喪失した。
でも、朝無事に2人が普通に目覚めると、今日もウサウサと生きられることに感謝している。

若い頃と今の違い

若い頃はなんでも出来る体があったけど、その頃は、そんなの当たり前だったから、感謝もなく、ただ淡々とながれた時間だった。

60代になって、色々出来ないことが増えて来たけれど、まだ、出来る事が沢山あることに感謝できる。
まだ60代である今のうちに、今は当たり前に出来ていることが、実は当たり前ではないと知っていることは大きなアドバンテージになっている。

それは高齢な両親(昭和10年生まれ)と同居していることも良かった。

同居は、実の親でも色々と大変だけど良かった。

両親は、精神的にも肉体的にも化け物じみた屈強な両親です。

それが最近はボロボロになっていて、年々出来ない事が増えている状態を目の当たりにしている。
気のせいかも知れないけど、パンデミック時代に入ってから持病の悪化とヘルペスなど免疫系の弱体化が激しい両親は、1週間先の予定だって立てられない程に弱くなった。

この両親の様子を見ると、60代の私が今できている事は、十分に感謝なんだと噛み締める時間がまだ残されていることを実感する。

両親は嘆いている。あれも出来ない、これも出来ない、寂しい、と。
それを聞くことで、両親が当たり前として素通りしてしまった60代と70代を私は感謝して堪能して行ける。

若い頃は当たり前で感謝がなく、60代の今は感謝に溢れている日々だ。
もしかしたら今の方が幸せ度合いは高いのかも知れない。

サルの一言

サル(筆者)は、引き寄せの法則も健康食品も素人で1ユーザーに過ぎません。

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サル船長とウサウサ航海士
サル船長とウサウサ航海士