この世界は二元だから、光と影、勝者と敗者、男と女、必ずワンセットで存在するから、比較して良い悪い、優劣、好き嫌いが分かるのは仕方ない。
だけれども、望む現実を考える時に、一々、望まない現実(今の現実)と比較してないで、シンプルにダイレクトに望む現実を考えたい。
私の思考クセ
嫌な思いをした場合に、本当は何を望むのか?その思考は構わないと思うが、既に望む現実を見つけた後になっても、しばしば望まない現状をイメージして、望む現実の素晴らしさを相対的に考えてしまう思考クセがある事に気が付いた。
私は今日まで比較は必須と主張してた
私は今日まで、比較して、良い物を望む、とか、過去と比較して今の素晴らしさを喜ぶ。それしか出来なかった。
初回だけでなく、望む現実を見つけた後ですらも、しばしば現在の望まない現実をイメージしてから相対的に素晴らしい願望をイメージする。
あるいは、今既に叶っている素晴らしい現実があった場合も、わざわざ過去のまだ手に入ってなかった時代を思い出して、あの時代に比較して素晴らしいなあ今は。と改めて今をありがたがる。
例えば、今乗ってる車がトヨタのクラウンだとして、以前はスズキのアルトだとしたら、その過去のアルト経験があるかるこそ、今乗っているクラウンの素晴らしい点を沢山発見する事が出来る。と言う考え方をいちいちやる癖があった。
だから、過去のアルト経験を一々引き合いに出して、現在のクラウンを褒め称える発言が多かったので、妻は、過去のアルトの話を聞きたくないと怒る。
しばしば、夫婦喧嘩の原因となる

昔のアルトの乗り心地は思い出したく無い。

昔乗っていたアルトとの比較があるからこそ、クラウンの良さが際立つ。
てな具合で、平行線のくだらない議論する事がよくあった。
今日からは私も妻派に?
今日になって、私も妻の心境になりたいなあ。と思うようになった。
妻に憧れる理由
二元世界だから比較するしか違いは理解されないのは確かだ。
アルトとクラウンを、比較しないと良さは分からない。
ここまでは、今までも今も私の考えは変わらないし、二元の真実だと思う。
それでも妻に憧れる理由
比較する時は、毎度、昔のアルトの今では望んでない現実(乗り心地)と、その時の今では望まない気分を感じている。
これって、比較して素晴らしさを引き立たせる効果よりも、望まない現実の中にいる気分を放射している問題点の方が気になり出した。
今日からは
望みが明確な話は、反対サイドの望まない現実との比較は止めようと思った。