イラつく奴がいる
坐禅、瞑想においては、自分の内側の思考を眺めるに徹する時間になる。
所が、日常では、外側ばかりに目が行く。
車の運転中なら、折角自分が丁度良い車間を取って走っていたのに、ウインカーも付けないで割り込むバカがいる。
その途端、私の視線は割り込んだ目の前の車に釘付けになる。
お前が狭い所に割り込んだんだから、この危険な車間を決して開けてやらんぞ!とギリギリの車間距離のままで暫く走ったりする。
それは私は疲れる。この嫌な車と車間距離が無いので、今度は私が加害者になるリスク、追突するリスクを犯して、アクセルとブレーキを頻繁に調整して、神経をすり減らして追従する運転。
この間、ずっと意識は外側、嫌な車に向いている。
意識を内側に向ける
こうなる前に、常に思考を観照していたら違ってくる。
坐禅、瞑想中なら出来る観照を日常の中にも、その視点を広げたい。
嫌な奴が現れたら、嫌な奴の嫌な行動に着目するのでは無く、嫌な奴だなあと認識している自分の思考を観る。思考に気付く。
思考に気付く事が出来れば、その思考を流す事も出来るし、苦しくて簡単には流せなくても、思考を選び直す余地が出て来る。
思考を選び直す余地が出来たら、本当はどんな現実が良いのか?と、嫌な奴を使って、望む他人をイメージする事も出来る。
結論
坐禅、瞑想の経験を生かして、日常でも、意識を内側に向けるようにしたい。
嫌な奴、素敵な人、嬉しい、悲しい、あらゆる場面で、そう感じる心を眺めたい。
他人は現実に気分をコントロールされないで、自分の気分は自分で選びたい。