他人より自分を観る

イラつく奴がいる

坐禅、瞑想においては、自分の内側の思考を眺めるに徹する時間になる。

所が、日常では、外側ばかりに目が行く。

車の運転中なら、折角自分が丁度良い車間を取って走っていたのに、ウインカーも付けないで割り込むバカがいる。

その途端、私の視線は割り込んだ目の前の車に釘付けになる。

お前が狭い所に割り込んだんだから、この危険な車間を決して開けてやらんぞ!とギリギリの車間距離のままで暫く走ったりする。

それは私は疲れる。この嫌な車と車間距離が無いので、今度は私が加害者になるリスク、追突するリスクを犯して、アクセルとブレーキを頻繁に調整して、神経をすり減らして追従する運転。

この間、ずっと意識は外側、嫌な車に向いている。

意識を内側に向ける

こうなる前に、常に思考を観照していたら違ってくる。

坐禅、瞑想中なら出来る観照を日常の中にも、その視点を広げたい。

嫌な奴が現れたら、嫌な奴の嫌な行動に着目するのでは無く、嫌な奴だなあと認識している自分の思考を観る。思考に気付く。

思考に気付く事が出来れば、その思考を流す事も出来るし、苦しくて簡単には流せなくても、思考を選び直す余地が出て来る。

思考を選び直す余地が出来たら、本当はどんな現実が良いのか?と、嫌な奴を使って、望む他人をイメージする事も出来る。

結論

坐禅、瞑想の経験を生かして、日常でも、意識を内側に向けるようにしたい。

嫌な奴、素敵な人、嬉しい、悲しい、あらゆる場面で、そう感じる心を眺めたい。

他人は現実に気分をコントロールされないで、自分の気分は自分で選びたい。

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投稿者プロフィール

お気楽ポチサイト管理者
凡人で、高齢者(定年退職の年齢)で、特別なにも無い人、いまさら引き寄せの法則に興味を持ち実験して果たして物になるのか?

そんなブログですが、今更ブームも終盤の引き寄せの法則に、高齢者が実験中のブログ公開して誰が見るのか?
そして誰の役に立つのか?
と言われそうですが、それは私の役に立つからです。

ブログを書こうと決めた事で、日々の生活の中で思考を眺め続けるモチベーションになる事を発見!

引き寄せに大切な良い気分の選択を持続する為のモチベーションにつながるからです。

引き寄せの法則的なブログの人や著者達は沢山いるけれど、彼らの人生を読んでみると、子供時代から普通と違っていたりして、そもそも最初から違うんじゃ無いか?彼ら彼女らは特別な人類だと思うエピソードを目にする都度、この人も別格か。そう思ってゲンナリします。

それでも諦めきれない私がいます。

超凡人だし、間もなく定年退職年齢だから若人と違って知識と経験と体力をこの先に付けられる状況にない。こんな私にも引き寄せなんて出来るのか?常識的に無理すぎる現状からスタートする引き寄せ実験をブログに加えました。

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