「思考」は過去と未来と言われるが
「思考」は、今に存在しない。
思考は過去か未来で今には存在出来ない。
今と言うのは感じる事しか出来ない感覚だけ。と良く言われるけど。
瞑想中なんか変だと思った。
思考と同化して、思考の内容に取り込まれると、確かに未来や過去に入り込むとは思う。
でも、思考が現れる場所は、思考を内容はいちいちジャッジして見ないでいる時、ただ思考を眺めて、流している時、思考をエネルギーそのものとして観る時、思考も今ここに現れている。
感覚は今ここに感じる。
思考は過去と未来と言われるが、思考も同様に思考と同化しない意識の視点から見たら思考も感覚も全く同じ今にある?
おそらく、今と言う言葉の指し示す場所は、意識の事で、意識は常にここにある存在感。
意識が地球を取り巻く大気層で青空その物だとすれば、思考は大気中に流れてくる雲。
雲は常に青空(大気)の中に現れては消えてゆく。雲は青空の中から離れたことがなく、大気の中に生じる形、エネルギー状態で変化した水の状態。
海水全体を意識だとすれば、海面の波は思考。波は海水の中から離れたことがなく、海水の中に生じる形、波動エネルギーの状態で変化した海水の高さ。
瞑想の視点
瞑想の視点で観ると、五感の感覚は今ここにあるのは間違い無い。
けど、思考もエネルギー的には、今ここに五感の感覚と同じく、現れて来る。
と思う。
思考の内容としては、内容は言葉であり、過去、未来、だと思う。
でも、内容(言葉)は見ずに、思考のエネルギーが湧いた場所は、今ここ、この瞬間、意識の中。
瞑想、坐禅の視点、観照の視点、意識の視点から見たら、思考も身体の感覚も今ここに現れて消える点では変わりない。
思考も、五感の感覚も、現れた後で、後付される中身は、言葉であり過去のデーター。
痛風の足の感覚は、ジンジン、ズンズン、ズキズキと感覚するけれど、それは今ここに現れている波動、信号だけれど、その瞬間の直後に思考が後付けする言葉は、痛風が悪化したかな?これ以上激痛は怖いな。足が痛いな。と全ては過去の知識でデーターであり言葉になっている。
今この瞬間にリアルに存在するのは、感じる事の出来る五感と思考のエネルギーも見えるから似てる。
以上、独り言。