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奥井亜紀さんの「ああ、春だ」
たまたま流れた奥井亜紀さんの「ああ、春だ」の歌詞で、意味不明な涙に困った。
涙しそう
私は不覚にも涙しそうになって妻に気付かれないようにするのが大変だった。
奥井亜紀さん ああ、春だ の一部分を書き留めます
都会に降る雪はとても大きなニュースになって、雪国の気温にみんな大きな声で驚く
はじめての子供が産まれましたの写真が増えた
丘の上公園にいつか行きましょう
いつのまにみんな大人になったの
変わらない日々を過こしてきたけど私も愛する人を守るために大きくなりたい優しくありたい
私は今年も同じ場所で変わらない日々に感謝するだろう
冷たい風は押し返せない心に抱いてあたためていこう
ああ、春だ
やあ、春だ
この曲は初めて聞いたわけじゃなく、10年くらい前から知っていた耳慣れた曲でした。
歌詞も朧げでも頭に残っていたし、過去何度も聞いたことがあっても特別な感情が湧いたことがなかった。
しかし、今日は、突然泣きそうになった。
グッと堪えようとしたが不覚にも涙ぐんでしまって、涙目が泣き顔が妻に見つからないようにと苦労した。
特にこの部分でした。
私は今年も同じ場所で変わらない日々に感謝するだろう
どうしてだろう?
落ち着いてから自問自答したのだが、
おそらくは、
若い頃は、
怪我する事もないし、病気になる事もない。
疲れる事もないし、体調不良にもならない。
何年も先まで元気で身体も精神も強くなる予感しかしてなかった。
それに比べて60代になった今は、
私も妻も、時々、怪我をして身体が不自由になったりする。
病気も毎年のように何か出る。
すぐ疲れるし、体調不良など珍しくもない。
逆に何も痛みと不調を感じない体である日が珍しい。
若い頃のデフォルトは今では奇跡なんだ。
来月の健康状態だって分からないと思う。
健康、元気、ただ生きられること
こうして年齢を重ねてからわかったのは、若い頃の健康と元気、つまり、ただ生きられる能力こそが、一番の宝物だったが、それは失わないと知る事が出来ない。
この先の一番の宝物は、変わらない日々だと心の底から思っている。
- 特別なイベントが無くたって
- 高級車が無くたって
- 大きな資産が無くたって
- ただ、変わらない日々が1番の宝物
変わらない日々があったら、それが1番の幸せだから、人生の全ての日数分が宝物で1番の幸せな日々だったと今は思っている。
喧嘩しても、心配事があっても、仕事のトラブルがあっても、当たり前の日常が過ごせるだけで超幸せ。
病気や怪我で寝たきりで、寝ていても痛くて寝られないような状態になったら、初めてわかる事だけど、この歳になると、時々、夫婦のいずれかが類似する状況に陥る事もあるから、本当に普通に動けるのが幸せだと心底わかるようになった。
歳を重ねて、その普通の幸せが見えるようになったのは、失った若さと同等に素晴らしい事だと思う。
若い時は、素晴らしい肉体という幸せを持っていながら見えない。
歳をとると、その肉体は無いけど、普通な1日が輝いて見えるから幸せになれる。
多分、この先にもっと高齢になったら、今の私が若くて自由な身体を持っている幸せ者に見えるはず。
本当のところは高齢にならないと見えない今ある幸せが沢山あるはずだが、それが見えなくても、今感じている今が大切なことだけは分かってきた。
この年齢の今の私しか見えない今を見逃さないで丁寧に過ごしたい。
ご機嫌な私で、
今日を大切に生きようと改めて思った。
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