目次
久々に妻が原因不明の不調になった
前にもあった症状だが、最近は完治したはずだった。
これが悪化すると寝返りも出来なくなるし、妻は肩と腰が痛くて日常生活が何も出来なくなる。
心配で朝から病院で検査している。
私には、妻の幸せが1番大切なんだ。
だから妻の健康不安はめちゃくちゃビビる。
ママを失ったり、ママの健康が失われたら生きてゆけない。
生きた心地しない
まてよ、私の望むのは何だ?
- 不安な未来ではなく、妻の元気な姿だよ。
- こんな不安なのは妻を愛するからだ。
- こんな仲良しの妻がいる私は幸せ者だ。
ここ最近の2人はそこそこ普通の健康だった
もちろん年齢から不調は色々あるけど、年齢的に健康の範囲だったので日々が幸せだった。
それなのに、そこに感謝を忘れてたよ。
前にも、妻の健康が失わた事がある。
その後に妻が回復したとき、
日々を普通に生きられる事に感謝してたのに忘れてた。
けど、いつの間にか、普通の日々が、痛みの無い身体が、当たり前に空気みたいになってた。日常の平和がデフォルトで感謝対象から消えてしまってた。
健康こそ全て
空気はあって当たり前で誰も存在に気付かないし、感謝もしないし、無料だ。
健康も、健康な体の時は、心地よい健康な身体に気付く事もない。
空気と同レベルに合って当たり前な健康体になっているが、本当は空気も体も何より大事なんだ。
でも、健康は一旦失われたり、危険になると、それがすべてに優先する大切な事だと気付く事になる。
地球で空気が失われる事は無いと思うけど、万一、空気が切れたら一瞬で終わり。
そうなれば、空気を吸うためには全財産をかけても惜しく無い。
健康も無くしたら、健康な身体を手に入れる為には全財産をかけても良いだろう。
大切な物は普段は気づく事もない。
当たり前にいつも共にある、無くしたら生きられない。これが大切な物の特徴なのかも知れない。
身体と空気は大切な物の筆頭だなと。改めて痛感している。
こんな感じに失う事で、やっと見えて来る健康な身体の感謝ですが、いちいち失わないでも分かっているはずなのに、また忘れたから思い出す事になったのかな。
その点では今朝の出来事にも感謝だな。
最近、コロちゃんワクチンの派閥問題で、この世界に嫌な感じして頭を悩ましてた。
ふと、思い出して悩んでた。
でも健康が有れば、妻が元気なら、他の問題なんて、比較にならない小さな事だ。どうでも良い。
今日から再スタート
今日からは妻との時間を改めて感謝して生きようと誓う今朝の出来事でした。
命も空気も健康も元々は無料で、当たり前。
だからこそ大切で失う事は出来ない。
コメント