私は観念ではないと気づくまで
坐禅、瞑想を趣味として、朝夕、欠かさず座るようになって10年以上になったけど、思考、感情に同化しないようにする意識がついてきた。
感情に同化した場合

感情を観る側にシフトした時
私が、思考や感情に同化しない状態でいられたら(人呼んで観照状態)、
「私が怒ってます。」
では無く、
「私が怒りを感じている(=怒りの感情を見ている)」状態にシフトできる。
すると、怒りはチャンスになり得る。
今は既に無いコミュニティーだが、観念浄化ワークの安達さんの人生上昇塾は、観念を見つけて浄化する事で、人生を楽にする場所だった。
津留晃一さんのM2テクニックも邪魔な観念を見つけ浄化するものだった。
どちらにせよ、感情同化から感情を感じる側へシフトした時に、人生を楽に生きるための準備段階になる。
感情を眺める側になると、初めてここから邪魔な観念を探す事になる。
私が父の言動に怒りが湧いた時、ただ怒ってしまうのではなく、感じる側にシフトしたら、そこに観念があるはずだと気づける。
老いたら子に従うべきである、そんな観念があった。
この観念で感情が湧いてきて、怒りで家庭内生活で苦しくなるなら、そんな観念は不要だ。
同化しない利点はもう一つ
怒りと同化すると、怒りにエネルギーを永遠に補填してしまうからエンドレスに怒りが膨らんでしまうので、怒りを感じて終わりではなく、私自身が怒りの権化になってしまう。
怒りを感じて、原因となる余計な観念を見つけて、浄化したら満足する。そして怒りも消える。