発症から回復までで一番不思議だったのは
私のSNS(FacebookとTwitter)を見たら他人が勝手に投稿している!
慌てて妻に相談した。
発症中で頭が半分朦朧としていて、思考の持続力が短いので、この事自体、すぐ忘れる事だけは覚えていたので妻に相談したのだと思う。
多少恥ずかしいが自分のSNSを見せたような気がする。
妻の見解は
この文章、普通にパパの投稿だと思うよ。
誰かにアカウント乗っ取られてないと思うから大丈夫だよ。
でも、私は、何度SNSを見直しても、それが私の言葉とは思えなかった。
発症中は他人の投稿にしか見えない不思議
SNSを読み直しても
- こんな事を自分が考えていたのか?
- こんな事をSNSで語るか?
- 全く、そうは思えない
- 私が書くはずがない文章ばかりだ
- どうして、こんな事を考えたか不思議だ
だから他人がログインして投稿しているように思えてならなかったが、発症中の頭はCPUクロック数が落ちた状態で、記憶容量も無いし、自分で調査続行は困難だった。
一過性全健忘が、徐々に回復すると真逆になる
数日経過してからだろうか?
一過性全健忘が回復してきたら、1時間とか今日とかの短期記憶力が回復してくる。
すると
SNSの過去記事を見れば、どう見ても私の投稿ばかりだった。
SNS過去記事を見て、自分の言葉じゃないと思ったのが、それこそ不思議になった。
記憶障害によって書いたことを忘れても良いが、発症中は、何度も読み返しても、SNS書いた人物が自分の言葉、思考とは思えなかったのが強烈な違和感として今も残っている。

SNSは「私=記憶」の集大成
このブログでもそうだけど、SNSも本気で自分の思ったことを語ってきた場所。
いわば、それは私の集大成だと思う。
そのSNSを記憶障害の最中に見たときに、他人事にしか見えなかったのだ。
他人の言葉、他人の思考、どう見ても成りすましのアカウント乗っ取り状態だった。
書いた事を忘れているのは一過性全健忘の症状だから当たり前です。
書いた事を忘れたのは別に良いのだが、自分の文SNSと理解した上で何度も読み返しても、これ自分が書いた文章じゃないと思う内容だったのが不思議。
それなのに、その半年の記憶がないだけで、数日前まで書いていたSNSの文章が他人の書く言葉にしか見えてなかった。
半年の記憶がないと別人格になる証拠
繰り返しになるが、書いた事を忘れるだけじゃない、のが驚きだ。
私ってこういう事を、語る人でないよね?
だったのです。
赤の他人が、どうして、こんな一般人のSNSを乗っ取り、適当な事を発信しているのか?そんなのが本当の気持ちだったので
数日前の私と、発症して半年記憶が消えただけの私は完全なる他人だった。
私とは何か?

この経験から言えるのは、私とは、たった半年で別人になると言う事。
性格、思考パターン、言動、似ているようで別人になる。
そういえば、朝はラブラブで夫婦時間が取れても、昼には大喧嘩することもある。
朝のラブラブの私と、数時間後の死ねば良い勢いで妻に怒りを感じてしまう私が、同じ私とは思えない。
本当の私(スピ系のいう)とは、真我とかハイヤーセルフとか神とか言う人がいるが、
そんな凡人がわからない事は、ここでは無視する。
わたしの結論
その時に湧く思考、その一つ一つが私。
そして、その一つ一つの思考が他人である思考さん。
私が思考するのでは無く、毎回の思考だけが単独で私であったとしか思えない。
そう考えれば、一過性全健忘で、思考の連続的な記憶がないなら、少し前の思考、つまり投稿すら他人の投稿に見えるのは合点が行く。
何しろ一過性全健忘で数分で記憶がリセットされる状況では、まさに、思考単位に別人に入れ替わっていた時期だった。
数分前は他人、数分先も他人、青空に雲が流れて来て、また、次の雲がやって来て、でも、その雲はそれぞれ別な雲であるように、当時の私も数分単位に新しい私になっていた。

私=思考は上の絵の雲ひとつ。真我は青空なんだろう。
一過性全健忘の記憶が薄れるにつれて、忘れてしまいそうな貴重な体験だからメモとして残した。