観ようとすれば見えて来る幸せの素が沢山ある
- 今日も歩けている
- 雨でも大丈夫な家がある
- 雨漏りしてない
- 妻が元気に生きている
- 葬式に呼ばれて忙しいけど行ける時間があった
- 電気が来ている
- ガスが来ている
- 水道が出る
- 空気がある
不満ばかり見ている最中だと、これらは全然見てないし、意識を向けても馬鹿臭い当たり前の事ばかりだった。

このアイスも
- 買うお金があって良かった。
- お金ありがとう
- 工場の人たちありがとう
- 原材料の生産者ありがとう
- 輸送ありがとう
- 販売ありがとう
- 業務用冷凍庫の会社ありがとう
- 味わえるベロありがとう
- 食べられる胃腸にありがとう
- 見て楽しむ目玉にありがとう
- そう思える心にもありがとう
- これらを感じる存在の私にありがとう
日常こそ大切
でも、このような些細で当たり前に見過ごすような日常にこそ、本当に大切な要素がある。
目立つ物は無くても生きられる
この逆に、高級車に乗る、フレンチを食べる、一流ホテルに泊まる、など目立った幸せの要素は、とてもあからさまに幸せのシンボルになっているけど、本当は無くても幸せを感じて生きられる事ばかり。
今あるものを忘れ無い
日常の幸せは、私には全部揃っているのに、そこに「ありがとう」と思わず、今は不足している高級車、フレンチなどばかりに目が行く時。
そんな私はどうかしていたんだと思う。
高級車もお金も沢山あれば一層楽しいとは思うけど、今も既に幸せである事を常に思い出して行きたい。