出来ているつもりで生きてきた
引き寄せに限らず、スピ系、悟り系では常識中の常識なのは、両方受け入れる事。
- 表裏一体
- 山があるから谷がある
- 光があるから影がある
- 男と女
- 勝者という概念が敗者を作る
アニメのクレヨンしんちゃんでも「胸あってこその谷間」という名セリフもある。
痛風発作は二度と御免だ
最近の日常は、痛風発作の痛みに耐えかねて、不便な足の痛みに面倒臭いし、痛みが全身疲労に繋がって疲れるので、兎にも角にも辛い現実から逃げたかった。
この気持ちから痛風を押し除けて、痛風の完治した姿を快適な身体をイメージして過ごしていた。
引き寄せの法則では、
欲しいイメージをして、その気分を味わって、信じて待つ。
そう言われている。
それを忠実に守っている最中なのだけど、
こけこさんのブログを見た時に、何かが引っかかる。
- 痛風の痛い身体が嫌だから、快適な体を求める。
この苦しみが強烈な今の身体ではなく、痛くない、辛くない、健康状態の体が欲しいと、痛くない身体に執着するのも致し方ない。のではないかい?
痛風の激痛の身体&快適な痛くない身体
この両方を受け入れるのは、万人にとってあり得ない選択ではないのか?
誰でも痛みから逃げたいし、あまりに痛いと、痛くない体に執着するほど強く願うと思う。
パラドックスだったのか
痛くない身体を強烈に欲する私。
ということは、今私は強烈に痛い身体です。と宣言していた。
宇宙には今しかない。
今、発しているバイブレーションにあった現実がやって来る。
私のチャンネルは強烈に痛み苦しみのチャンネルに合っている。
これ、自分の今現れた現実は受け入れた上で、次に進むしかないのか。
痛いからこそ、快適な身体が好きだ。と心の底から知ることが出来た。
痛い身体がなければ、自分の望みに気づくことが出来なかったのだ。
痛い身体がなかったら、痛くないのは当たり前だと見過ごして、ありがたみもないし感謝もなし。
モデルさんの様なボディーに憧れて、そうではない自分のボディーに細かくダメ出しして、歩ったり走ったり出来る自分の体に感謝せず、もっとすごいヨガの先生とかに憧れていた。
自分の今までの普通に使えていた体にありがとうと言わないで生きてきた。
この痛みのある身体になったお陰で自分をもっと大切に愛せる様な気がしている。