感謝は求める物ではなく、当たり前に湧く感覚

感謝が良いと言われても

現状に文句があるから引き寄せの法則の本を買うんだ。
感謝するのは、無事に引き寄せが成功した暁にはやりますから。
今、出来る感謝は、口先の感謝、口先の有難う。それが関の山だから。
実際に小林正観さんは、「有難う」と唱えるだけで効果があると言っている。
だから、口先の有難う、口先の感謝でも良いんだと思う。
無理矢理ではない感謝が湧く事が自然
でも、今の目の前を、黙って愛でるようにしていると、
「有難いなあ〜」「感謝だなあ」そう思う物しか無い。
そんな事に囲まれてるし、感謝は強制されずとも、当たり前の事になる。
私の今は痛風が数ヶ月治らなくて、今も椅子に座っている足先が痛いんですけど、そんな事では失わ無いほどの有難うが溢れている。

痛いけど、
有難う。
こっちの方が沢山あるのに、痛風の一つで不満な現実にしている場合では無い。
痛風に左右されてない
痛風の直った先の素晴らしい感覚はもちろん望む現実。
でも、今が不幸なんじゃなくて、今も感謝の中にあって、痛風が消えたら、さらに嬉しいなあ。
痛風に左右されない感謝は安心感
普通なら痛風が直ったら幸せで、再発したら不幸でとなるんだけど、そこに影響されずに有難う、感謝がベースになっているので、ここ2日、3日はリラックスしている感じ。

こんな人が書いてます

- サイト管理者
-
凡人で、高齢者(定年退職の年齢)で、特別なにも無い人、いまさら引き寄せの法則に興味を持ち実験して果たして物になるのか?
ポチのアメブロのやってます。
ポチのアメブロ
そんなブログですが、今更ブームも終盤の引き寄せの法則に、高齢者が実験中のブログ公開して誰が見るのか?
とか言っている間に、実験スタートしたばかりでコロナ時代になって景気後退、さらに痛風に襲われて死ぬほど痛い中でも気分だけは俺の自由だと強がっている。
そして誰の役に立つのか?
と言われそうですが、それは私の役に立つからです。
ブログを書こうと決めた事で、日々の生活の中で思考を眺め続けるモチベーションになる事を発見!
引き寄せに大切な良い気分の選択を持続する為のモチベーションにつながるからです。
引き寄せの法則的なブログの人や著者達は沢山いるけれど、彼らの人生を読んでみると、子供時代から普通と違っていたりして、そもそも最初から違うんじゃ無いか?彼ら彼女らは特別な人類だと思うエピソードを目にする都度、この人も別格か。そう思ってゲンナリします。
それでも諦めきれない私がいます。
超凡人だし、間もなく定年退職年齢だから若人と違って知識と経験と体力をこの先に付けられる状況にない。こんな私にも引き寄せなんて出来るのか?常識的に無理すぎる現状からスタートする引き寄せ実験をブログに加えました。
アメブロは主として自分の備忘録として他人の興味あったブログをブックマーク目的で活用中。
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