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「現実は自分が作る」とは?

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日常的に体験してた

日常は自分が作っている。と良く言われているけど、とてもそうは思えない事が多い

ところが、良く現実を見ていると、間違いなく現実は私が作っていた。

気分の優れない日

一ヶ月前にiPad Proを新しく買い替えたのだが、今では購入日の感動も消え失せ、当たり前に使っているPadであり、MacBook Proに比べて出来ない事が気になっていた。

気分の良い日だと

気分の良い日だと、視界にiPadが入ると購入当時の喜びが蘇る。

気分の良い日だと、一ヶ月以上経過したiPadを使うのに、今も新たに発見する「iPad素敵ポイント」にニンマリするし、既に知っている「素敵ポイント」にも毎度新鮮な感動がある。

同じiPad(現実)でも自分次第で違って見える

明らかに同じiPadなのに、日によって全然違って見えるのは、iPadが私に喜びを与えるのではなく、私が今にある物を観る眼があれば素敵に見える。

私が喜びを観る、今ある物を愛でる、そんな視点なら幸せ気分になる。

そうじゃ無い場合は、iPadは同じ物でもMacBook Pro比較で劣ったところが目立つから「無い」に見えている。

使い慣れたチタンのカップでも違う

二年前くらいに結婚記念日に二人で購入して来た郷ひろみお勧めのチタンのタンブラーがある。


既に見慣れてしまったので、単なるカップであり、むしろ中の液体が見えないチタンはおいしさが見えないと言う欠点が目立っていた。

ところが気分がとても良い時には、チタン素材のキラキラが美しく、口当たりの良いチタンの感触に惚れ惚れした。

明らかに同じチタンのタンブラーなのに、現実は私が作っている。

現実は私が作るなんて誰でも体験済みの話だった

こんな話は書いてみれば、誰でも昔から体験しているような話なのに、スピ系で「現実は自分が作る」なんて言われても到底受け入れ難かった。

この不足するXXは、俺の作った現実である訳が無い。

そう自我は言うけれど、この今見える状態は、気分次第ではバラ色な出来事があふれていたりするし。やっぱり現実が不幸に見えるのか? バラ色に見えるのか? そこは自分次第な気がしている。

こんな風に思えるのも、痛風中に幸せになった経験が今も忘れられないから、痛風ありがとう。

そして今でも時々、足が痛いので、忘ないで風化させないで思い出せるし。

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